T. 洗 脳
洗脳(brainwashing)とは、「強制力を用いて、ある人の思想や主義を、根本的に変えさせること」と、ウィキペディア(Wikipedia)では、定義しています。このように、多くの定義では、「強制的」 という修飾語がついています。「強制力を用いて」というのは、広い意味では、そのとおりだと思いますが、私は、「強制的」というのは外したほうがいいと考えています。というのは、「強制的」 な洗脳方法は、効果的ではないからです。特に、統一協会(世界平和統一家庭連合 旧名称:世界基督教統一神霊協会)の洗脳は、 決して “強制的” ではありません。
A. 強制的な洗脳は、上策ではない
拷問や強制(例えば、ある考えに賛同しなければ食事を与えないなど)による洗脳は、上策ではありません。それは、その強制力がはずれた(例えば、捕虜収容所から解放されて、母国に戻った)ときには、ほとんどの場合、元に戻ってしまうからです。
例えば、捕虜収容所などで強制的に、あるいは暴力的に、“洗脳” をしますと、確かに、その時には、強制されているように発言し行動する(そのような思想や主義についてみずから表明して、賛同していることを言動で示す)ことでしょう。しかし、そのようなやり方では、あのときにそうしたのは、「殺されるかもしれないと思ったので、そうする以外にはなかったのだ」 などと言い訳して、せっかく植え付けたその考えを捨て去ってしまう人が多いようです。あるいは、あのときは強制されて賛同しただけであって、やはり、あの考え、あの言動は間違いだったと、多くの人が元に戻ってしまうようです。
渡邊(1999, p85)は、以下のようにハンターやフッドを引用して、強制的な洗脳は効果的ではないと述べています。
洗脳とは、中国共産党が開発したとされる強力な思想改造のことを意味する。英語のプレイン・ウオツシングbrain washing はそのことを指摘したジャーナリストのハンターがはじめて用いたとされている。
洗脳をめぐる神話がすぐに形成され、他者を思いのままに操ったり他者を自由に自白させたりすることが可能であるという幻想が一般に広まった。
しかしながら、実際には相手を屈従させることはできても信念を変えることは不可能であることがすぐに明らかになった。要するに、コントロールされた環境を離れてしまうと、そのうち屈従行動が消失してしまうのである。
一例を挙げれば、朝鮮戦争の際に7,000名の捕虜が中国共産党の洗脳下に置かれ、その三割が死亡した。残りのうち、本国送還を拒否したのはわずか21名であり、そのうち10名が後に考えを改めた。したがって、(残りの)4,500名のうち中国共産党に最終的に同調したのはほんの11名しかいなかったのである。
心理学者のR.W.フッドら(1996)によれば、「科学的には不適切な大衆の読み物が強制的技法[洗脳]の無制限の力を絶賛しているが、次にみるように、責任のある科学的論文は一貫して以下のことに合意している。(1)そのような技法は制限された態度変更を生み出すだけである。(2)そのような変化は、直接の環境に対するコントロールが除去されるときわめて不安定になる」。つまり、洗脳は持続性を持たないし、屈従行動をもたらしても回心そのものをもたらすわけではないというのが、広く認められた学術的な結論であると言えよう。
もう一つ追加しておきますと、拷問や強制による方法は、現在の社会では、少なくとも特殊な場所、状況でないと、不可能です。
B. 統一協会の洗脳の特徴
統一教会の信者に関して、社会学者バーカーは、価値指向性の強い若者達が信者となっており、「彼らは洗脳されたのではなく、統一教会信者として“自発的に”活動している」 と述べています(Barker, 1984)。
また、脱会したある元信者さんは、統一協会の洗脳の特徴として、「この統一原理を“自分自身で選択して”信ずるようになったと、本人に思いこませることです」 と述べています(南, 1996, p46)。
(早くから統一協会の問題に取り組んできた宗教学者である)浅見も、「マインド・コントロールとは、本人には自分の意志で納得ずくでやっていると思わせながら、その人のこころを操ることです」と述べています。
以上のように、統一協会の洗脳は、「強制的に」、ある人のマインド(心、精神)を変えるのではなくて、「自発的に」、「自分自身で選択して」、「納得ずくで」 させているようです。ではどうしたら、そんなことが可能なのでしょうか?
C. “洗脳” のキーポイント
ここで、“洗脳” のキーとなる人間の心理を一つ申し上げておきましょう。
まず、ちょっと変な質問かもしれませんが、「あなたは、日々自分がしていること(行動)を、どう評価しておられますか?」。(多くの方が、普段、そんなこと、ほとんど気にしておられないでしょうが)、我々人間は、自分がした行動について、暗黙のうちに、どれも意味のあるものであると信じています。特に、自分の意志で行ったどの行動も、意味のあるものであると、自分では気がついてはいませんが、当たり前のように、疑うことなく信じています。
それを裏づける小さな日常的な例を一つあげておきましょう。ある日、スーパーに行ったら、お肉売り場で、「本日大特価」、「産地より直接販売!」 などと、ステーキ肉のキャンペーンをしていました。一口大に切った肉を鉄板の上でジュージューと匂いもさせてすごくおいしそうに焼いて、試食もすすめながら、販売していました。ある人が、それを見て、そのステーキ肉のパックをかごに入れたとしましょう。(客観的には、ほとんどスーパーによって仕組まれていたと言えるのですが)、本人は、当然自分で判断して決めたと思うことでしょう(例えば、今週はちょっと物入りだったので‥‥ と考えた場合には買わないのですから)。そうすると、上述のように、「人は自分の行動・判断は正しいと信じています」ので、 あるいはそう信じたいので、夕食のときには、「おいしいお肉だ」と十分満足して食べることになるでしょう。つまり、その人はその肉はおいしいと思って買ったのですから。反対に申しますと、その人は、「おいしくない」とはなかなか言えないのです。なぜなら、「おいしくない」というのは、自分(の判断・行動)を否定することになるからです。
さて、もう少し話を進めてみたいと思います。もしも、何かの拍子で、自分がしたことが、無駄なことであった、意味のないことであったとわかったとしましょう。そうなると、きっとあなたは、「何でそんなことをしたのだろうか?」、「どうしてそんな無駄なことをしたのだろうか?」 と後悔されるのではないでしょうか。
このように、一般に人間は、自分のしたこと、特に自分の意志で行ったことについて、それが意味がなかったことだとわかりますと、後悔の念がわいてきて、不快な思いをします。例えば、あるアルバイトの仕事をしたのに、何らかの理由で報酬がもらえなかったとしましょう。(通常は、しんどい仕事のために時間をとられても、報酬がもらえるので、意味のあるものとなるわけですが)。そんなときには、多くの人が、何がしかの理屈を見つけて、アルバイトをしたことを正当化しようとします。「お金はもらえなかったけれど、人助けになったはずだ」、とか。「してあげた人は非常に喜んでくれたじゃないか」 などと、言い訳をします。そうやって、上記の後悔の念や不快な思いを少しでも和らげようとします。
これらは、心理学の“認知的不協和” の一種と言えると思います。特に、(認知的不協和でよく引き合いに出される)「競馬場の馬券は投票後に変更できないために、馬券購入後は自分が選んだ馬への評価をより高める」という 「決定後の不協和の低減」という現象(Knox & Inkster, 1968)によく似ています。
もう一つ例をあげておきますと、ある本を読んで、面白くなかったとしましょう。そうすると、多くの人は、「どうしてこんな本を読んでしまったんだろう!」と、後悔します。それは自分がした、読んだという行動が無駄でなったことを問題視しているわけですが、読んだという行動を取り消すことはできません。当たり前ですが、さすがに、読まなかったことには決してできません。そこで、何らかの有意義と思える事情、「でも、いい勉強にはなったじゃないか」、「ちょっと他の人には読みこなすことはできないだろう」などを見いだすことができれば、ずいぶんと気が楽になります。このように、ほとんどの人は、何かしら、それらしい理屈をみつけて、自分のしたことを正当化しようと努力します。つまり、人間は自分が無意味なことを行ったということを、なかなか許せないようです。
以上のように、我々人間は、自分がしたすべての行動、特に自分の意志で行った行動に対して、それらは意味のあるものであったと、当たり前のこととして信じています。そして、もしも、そうでなかった場合、つまり、無駄であったとわかった場合には、ほとんどの人がそのままにはしておかないで、何とか理屈をつけてその行動を正当化しようと、試みます。
こういう人間の心理は、“洗脳” に利用することが可能です。実際、統一協会は、下の図のように、正にこの心理を利用しています。
U. 統一協会の洗脳
統一協会が行っている勧誘、修練会(セミナーなど)、入信、協会への献身、集団結婚式への参加などのプロセスについて、この協会の信者がどのようにして、信者となり、協会に組み入れられるかについて、「信者のライフコース」 として、櫻井が詳しく述べておられます(櫻井, 2008)。また、南(1996)も統一協会のやり方を詳しく述べておられます。それらを読ませていただくと、その洗脳のプロセスは、非常に良くできており、「洗脳完全マニュアル」とでも名づけたいほどです。以下で、この両者を引用させていただきながら、この協会が行ってきた洗脳プロセスを、コメントを加えながら、見ていきたいと思います。
洗脳の期間とプロセス:櫻井(2008, p121)によると、一人のターゲット(人)が最初にコンタクトされてから、信者になるまでの期間が約5ヶ月、献身(協会の伝道活動や集金活動に専従すること)を誓うまでに、7ヶ月〜2年間を要しているそうです。しかもその間ほとんどのプロセスで、信者が接触して世話を焼き、影響を与え、教義を教え、(本人の決断を促すための)“舞台” を用意して、先導しています。ですから、統一協会の洗脳のプロセスは一筋縄の単純なものではなくて、多面的で、多層的で複雑な過程となっています。ここでは、主要なプロセスを取り上げて、その洗脳のやり方を明らかにして行きたいと存じます。
A. 最初のコンタクト
彼らはある人を信者とするには、前述のようにかなり日数がかかる(例えば、合宿形式の数日間のセミナーへの複数回の参加などして5ヵ月以上くらい)ので、主に時間に余裕のある人をターゲットにします。そのため、路上のアンケートによる勧誘の場合には、大学生などを相手にします。そして、戸別訪問の場合には、主婦層をねらうことになります。学生は(金は持っていないが)、協会の終生の労働力として使えるからです。主婦層は、物品の購入や献金をさせるためにねらうこととなります。以下では、主に学生に対して行われる“伝道活動” を見ていくことにします。その場合、最初のコンタクトによって、ビデオセンター(A)に誘導されることになります。(以下の主たる部分は、櫻井 《2008》 からの引用です。)
B. 最初のセミナー(A〜D)
A 初級コースのビデオセンター
青年・学生達は、勧誘された後にビデオセンターと呼ばれる統一協会の施設(貸しマンションの一室など)に、統一協会とは明かさないで、連れて行かれます。そこでは、主に、統一協会が作成した“統一原理” を説いたビデオ(下の表を参照)を、1ヶ月ほどかけて、視聴させます。そのビデオに出てくる用語やストーリーは、(キリスト教について少し知っている人であれば別ですが)、ほとんどの人にとっては目新しい特殊な用語ばかりで、その内容を理解するのは難しいことだと思われます。また、それらのビデオ以外に、例えば、「クリスマスキャロル」の映画などを見せて、霊界の存在と財産を投げ出すことで幸せになるという物語も見せるようです。
このビデオの視聴は、その内容を理解してもらうというよりも、そのビデオに出てくる用語や種々の画像、講師の雰囲気などに慣れさせるというのが、主なねらいと考えられます。心理学的に説明しておきますと、これらのビデオを見せることによって、それらの用語や画像が、当人の<認知心理学でいう潜在記憶> に残って、当人は、それらについて、意識的ではないですが、なんだか違和感がなくなって、なじみがあるもののように感じられるようになります。なお、このような効果は、目新しい言葉や画像などに対して、特に強く効きます。このようにしてそれらの語などになじませておくことは、違和感や警戒心が減って、次のステップで大いに役立つはずです。つまり、このような前振りをしておくと、それ以降のことがスムースに進むのでしょう。
さらに、これに加えて、以下のことが仕組まれています。
1. ビデオセンターには、センター長と呼ばれるアドバイス役、新規ゲスト担当の“新規トーカー”、主任(責任者)というスタッフがいるようです。それに勧誘した者(“霊の親”と呼ばれるようです)が加わって、受講生は下へも置かないもてなしを受けます。要するに、自分が非常に大事にされていて、いい気分でいられること、この場所が快適なものであることを、体験させて、この若者を心情的に取り込んでいきます。(これらは、あくまでも彼らの戦略であるが、本人は気持ちの良さだけにひたることになるのでしょう。それも繰り返し実感するはずです。ビデオが14巻あるように、ビデオセンターでの期間は、2週間〜1ヶ月くらいかかります。)
勧誘された若者にはまずお茶を出して大学についてなどの軽い話をしながら、ビデオ学習へ動機づけていくことになる。勧誘した者(“霊の親”)は、被勧誘者の脇に控えて、“新規トーカー”の話にあいづちをうち、新規トーカーへの導入を行う。
“新規トーカー”は、トーカーと言うくらいであるから、彼らはトーク・マニュアルで会話の流れ、話の持っていき方を学習していて、話がうまい。「まずは相手の話をよく聞いて、知ってあげ、認めてあげることが大事です。賛美も美辞麗句ではなく、相手の喜ぶことを言ってあげましょう。‥‥‥ゲストの前に自分はまぶしい魅力的な存在になるように、表情は笑顔、相手の話を聞く姿勢、誠意、さわやかさ等、気をつけて、身体全体で話すことも必要かと思います(新規前線トーク・マニュアル、札幌地裁判決文 347頁)」。
2. 受講料五万円を要求するようであるが、後払いでもよいとされ、数千円をその場で支払えば申し込みとなる。(この受講料を払わせることも、重要である。人は、お金を払ってしまうと、その内容をくだらないと思っても、くだらないと決めつけることが難しくなる。それには、料金を払ったという自分の決断が間違いであったということを、受け入れなければならないからである)。
3. また、主任や“霊の親”に、ビデオ視聴後にその受講生との話し合いや、交流を持たせることで、ともかくここは自分にとって居心地よい場所であると受講生に感じてもらえるようにする。このように、下にも置かない態度で接遇されるので、受講生は主任や“霊の親”と人間的に親しくなる(正確には親しくなるように仕組まれている)。そして、受講の後半で、次のステップとしてツーデーズセミナーへの参加を勧める。一般的に言って、顔見知りになった好印象の人から、その顔を見ながら勧められて、それを断れる人はそういない。
さらに、次のビデオ(神がこの世と人間を作り、人間がサタンの仕業で堕落し、その後神の元へ復帰する歴史を歩んでいるのだという話)を見ても、何か実感はわかないし、どうでもよい話だなどと思ったとしても、顔見知りになった “新規トーカー” や “霊の親”から、面と向かって、「全て分からなくともゆっくり学んでいけばいいですよ」 などと言われれば、なおさらその誘いを断るのは難しい。(忙しくて物理的に行けない人は断れるであろうが、彼らは始めからそのような勤労者を勧誘しない。)
ここで行われたことをまとめておきますと、連れてこられた人に対して、以下の3点が意図的に仕組まれています。一つは、そこで使われる言葉や雰囲気に慣らされること。二つ目、彼が連れて来られた場所(この団体の場所)が安心できる居心地の良い場所であると感じるようにすること、三つ目は、そこにいる人たち(センター長、“新規トーカー”、主任、勧誘した者“霊の親”)が自分を立ててくれる信頼できる人であるとして、彼が好意を向けてしまうようにすること。そして、これらが次の段階で利用されるのである。
また、付け加えておくと、(下の表に描いたように)、ここでも統一協会流の「洗脳」が、少しだけ始められています。それは、受講生に視聴したビデオについての感想文を書かせて、その後、世話人(上記の中のセンター長と思われる)と会話をさせていることである。それを何度も繰り返すわけですから、やがて、彼はそのビデオを内容に肯定的な意見の感想文に書くようになることでしょう。そのとき、そういうように書くようにと決して強制されたわけではないので、自発的にそのように書いたと思うことでしょう。そうなれば、肯定的な意見を述べてしまったという事実が彼を縛っていくことになります。つまり、彼は自分はビデオを内容に肯定的な意見を持っているのだと思うようになることでしょう。
蛇足ながらまだ付け加えておきますと、感想文を書かせることは、おそらく本人は、何かを学びたいと思って参加しているわけですから、彼の意欲を満足させるものともなっていることでしょう(西田, 1998)、また、お金を払ってビデオを見ているわけですから、お金を払ったことの対価ともなって、受講生を満足させることでしょう。
B ツーデーズセミナー:洗脳の始まり
ツーデーズセミナーの内容は下の表の通りであるが、前のビデオ聴取とは、がらりと違って、非常に緊張感のある状況で行われる。そして、巧妙な仕掛けが最後に仕組まれている。
1. 緊張状態が2日間続く
知らない者同士が寝食を一緒にする:まったく見ず知らずの青年たちが集められて、数十名で2日間の研修を受けることになる。前日の夜に、どこかもよく分からない所(統一協会の施設であることはあかされない、アパートやペンション等の一棟貸し切りとか、ビルのフロア貸し切り等)に連れて来られて、知らない者同士で布団を敷き詰めて寝ることになる。そのため、明日からどうだろうかなどという不安もあって、おそらく浅い眠りしかできなかったことでしょう。
外部からの遮断と管理:班に分けられて、その班ごとに統一教会員の信者の班長となって、管理される。つまり、必要事項は全て班長を通すように言われて、勝手な判断・行動は禁止される。さらに、その班長によって、班員同士があまり話をしないように注意される。その会場には新聞・テレビ・ラジオ等はなく、外部からの情報はすべて遮断されている。携帯電話も禁止で、外との連絡はできない。
2. 緊張しての受講
早起きでさめやらぬ頭に、講師の熱烈な講義(「創造原理」など、上記の表を参照)をまくし立てられる。受講生は班長から、「大変な講師」、「受講できるあなたはラッキー」といったことを繰り返し聞かされているので、何か重要な講義を受けているという気にさせられる。その講師が確信に満ちた大声で情感たっぷりに堂々としゃべるので、一層ありがたい講義なのだという気にさせられる。
前のビデオセンターでのビデオ視聴では講師はテレビの中で、自分はブースの中での視聴であったので、欠伸しようと少し眠気に襲われても問題はなかった。しかし、今回は、講師のツバキが飛んでくるような近くで、さらには、周囲を同様な(ろくに話を交わす機会のないままの、ほとんど初対面のままの)受講生に互いに囲まれながら講義を受ける。当然、緊張したままという状態が続く。
3. 良く理解できない内容の講義
講義される内容は、ビデオですでに見たことであろうが、特殊な話であり、高校や大学、あるいは一般の職場や世間で使われない用語や概念ばかりである。したがって、一度や二度聞いて理解できるようなものではない。さらに、居眠りも許されないという状況の中で、人によっては半覚醒の状態で講義を受けるだけとなるかもしれない。ただし、ビデオセンターのビデオ聴取によって、先にそれらの語句や概念についてはなじませてあるので、講義の内容に特別反感を持つようなことはないと推測される。
初日の昼食後、「創世記」の話であるが、キリスト教の「原罪」の概念も全く知らない受講生には、人類の始祖であった若い男女が不適切な相手と不適切な時期に性行為をした結果、世の中に淫行がはびこり、そして、人は人生を誤るようになったのだと、漠然と理解されるだけであろう。
翌日は、罪に満ちあふれたこの世を救うために神が使わしたメシア(イエス)の話や、旧約聖書の創世記を下敷きにした、統一協会独特の救済の話などが講義される。ほとんどの受講生は受講疲れのために、特別悪い話を聞いたとは思わないであろうが、そんなものかと、受け身的に聞いているだけであろう。ただし、この緊張する長い講義の中で、非常に熱心に声高に、時には感情を込めて、説明される「統一原理」の講義を聞いて、周りの人たちの様子も見ながら、時には、「そうかもしれない」と思いながら、聞くことになるのであろう。
4. そしてクライマックスへ
講義が終わって、閉講式によって今までの緊張感が解かれることになる。そして、各自の“霊の親”が現れる。札幌では、セミナー会場の後ろに幕が引かれていたが、突然幕が開けられ、“霊の親”が勧誘した者の名前を呼びながら、それぞれの受講生に駆け寄ってくる。そして、「お帰りなさい、ツーデーズセミナー修了おめでとう」という横断幕が掲げられたパーティー会場に迎え入れられるのである。“霊の親”から口々に「良かったね」と祝福を受け、しかも、受講者の理解が進むように祈って待っていてくれたとも告げられる。
決意表明:このように今までの緊張感が一気に解け、高揚した気分の中で、優しいなじみのある“霊の親”に励まされながら、決意表明をみんなの前で行うことになる。
今まで長時間の講義を受けてきたわけですから、その講義の内容がくだらないものであったとか、さらには、自分にはそれには賛同できないなどと言うのは、今までの居心地のよくない状況での、自身の長時間の努力をまともに否定することになるわけです。ですから、とてもそのように言う気にはならないでしょう。さらに、親しくなった“霊の親”が目の前にいて励ましてくれるのだから、その人が喜ぶようなことを述べようとも思うことでしょう。
ですから、「ここで聞いた統一原理は素晴らしかったです」とか、「私は、この“霊の親”さんのように、統一原理を信じていきます」 などと述べることになることでしょう。また、ほかの受講生が、そのような決意表明をすると、無論、そこにいる班長や多くの“霊の親”たちが、拍手を送り声を上げて賞賛します。それを見てしまうと、一層、自分もそういう決意表明をしようと思うのは、当然の成り行きでしょう。ですから、続く人も、「私は統一原理を信じて、統一原理の勉強を続けていきます」などと、表明することでしょう。
(反対に申しますと、少なくとも、そこで、「私は全く理解できなかったので、こういう話を聞いたり、勉強するのはやめようと思います」などと言える人は、一人もいないことでしょう。そんなことを言える雰囲気でないことはどの受講生にもわかることでしょう。)
ほとんどの受講生がそのような決意を表明するという展開は、正に協会側が描いていたスト―リーそのものです。このように仕組まれていたのですが、「少しも強制されたわけではありません。そのため、本人は自分の意志でそのように言ったと思う」 ことでしょう。そこで、各受講生たちは、自分の意志で上のように言ったと思っているわけですから、それらを本当にするために、本気で “統一原理” を信じようと努力することになるのです。これこそ、本当の“洗脳”の始まりです。
日本兵の出征宣言:このようなやり方は、戦前の兵士の出征宣言もまったく同じメカニズムです。日本では戦争中、ある青年が兵隊として出征するとなると、人々がそれを祝い、万歳三唱で送り出しました.そのとき、ほとんどの青年が、「立派にお国のために戦ってきます」 などと、父母や送ってくれた大勢の人の前で宣言をして、軍隊に入営して行きました。そのため、戦地に送られたときには、彼は兵隊として懸命に戦うことでしょう。何しろ、自身でそう宣言したのですから。
5. 小まとめ
繰り返しとはなりますが、要点をまとめておきましょう。
1) 今まで緊張しながら長時間にわたって講義を受けてきたわけですから、その講義の内容がくだらないものであったとか、それは自分では賛同できないものであったと表明するのは、自身の(今までのしんどい目をしながら講義を受けてきたという)努力を否定することとなるので、とてもそのようなことを言おうとは、思わないはずです。そうではなくて、その講義の内容を認めるような、受け入れる気持ちにさせられることでしょう。
2) さらに、親しくなった“霊の親”が目の前にいて励ましてくれるのだから、その人が喜ぶようなことを述べようとも思うことでしょう。
3) そこで、各受講生は、「私は統一原理を信じて、統一原理の勉強を続けていきます」などと、表明することでしょう。
4) 上記のようにして仕組まれてはいるのですが、少しも強制されているわけではないので、本人は自分の意志でそのように言ったと思うことでしょう。この点は、最初のほうで述べた南(1996, p46)の記述とまことに良く一致しています。
「言わされたのか、言ったのか」:つまり、その場の雰囲気などによって(ほぼ強制的に)そう言わされたのか、それとも自分の意志でそう言ったのか。これは決定的に重要な意味を持っています。この記事を読んでこられた方は、統一協会によって巧妙に仕組まれた結果であり、「ほとんど強制的に言わされた」ようなものだと理解していただけると思います。しかし、当人とっては、「言葉でもって明白に、強制されたわけではないので、自分の意志でそう言った」と、認識しているのでしょう。言い換えると、客観的には「言わされた」と言うべきものであっても、主観的には(あるいは本人は)、「自分でそう言った」と思うのでしょう。人間には妙なプライド(うぬぼれ)があって、このような場合、一般的に、「自分の意志で言った」と思うようなバイアスがあるようです。統一協会はそれまでもうまく使って、人を “洗脳” します。
5) (これが最後のとどめですが)、講義内容(統一原理)に賛同するような決意表明をしてしまいますと、今度は、そう言ってしまったことに縛られます。つまり、その決意を実現するために、本人が、真剣に“統一原理”を勉強し、信じようと努力することでしょう。これこそ、本当の意味での“洗脳”の始まりです。(これは、その人のこころの中に確実な “洗脳のくさび” を打ち込むことができたということです。
統一協会の洗脳は、こういうパターンで、いろいろなバリエーションを含みながら何段階にもわたって繰り返されます。そして、最後には、統一協会は、その教義にその人をあたかも“奴隷” のように、従属させるのです。そのプロセスについては、後編で述べたいと存じます。
〘 クイズ 〙
前編の最後に、クイズを一つお出ししたいと存じます。答えは、文献の後にあります。
文 献
浅見定雄, 1997 信教の自由とマインド・コントロール (マインド・コントロール研究所, 1997 親は何を知るべきか いのちのことば社 pp106-107).
Eileen Barker,1984, The Making of a Moonie, Choice or Brainwashing? Gregg Revivals. Galanter, Mark et al., 1979, The “Moonies”: A Psychological Study of Conversion and Membership in a Contemporary Religious. Sect,136AM. J. PSYCHIATRY pp.165-170. (ただし、ここでの引用は櫻井(2008)からの孫引きである。)
郷路征記 統一協会の何が問題か 花伝社, 2022.
Hood,R.W. Jr., et al., eds.,The Psychology of Religion: An Empirical Approach, 2nd ed. (New York: Guilford Press,1996),325. (ただし、ここでの引用は渡邊(1996)からの孫引きである。)
Knox, R. E., & Inkster, J. A. Postdecision dissonance at post time. Journal of Personality and Social Psychology, 1968, 8(4), 319-323.
南哲史 マインド・コントロールされていた私 統一協会脱会者の手記 日本基督教団出版局 1996
西田公昭 ビリーフの形成と変化の機制についての研究(3) ―カルト・マインド・コントロールにみるビリーフ・システム変容過程 社会心理学研究, 1993, 9:131-144.
岡田尊司 マインド・コントロール 文春文庫 2016
櫻井義秀 統一教会の研究(一)入信・回心・奪回 北大文学研究科紀要 2008, 126: 105-234
渡邊学 カルト論への一視点 南山宗教文化研究所 研究年報, 1999, 9:82-91.
〘 クイズの答え 〙
A子さんは、非常に無理をして作り出したお金です。それを、協会の教義を信じて献金したのです。そのため、A子さんは、その信仰を捨てることは、自分がそれほど我慢して、努力して、犠牲を払ってした献金という自身の行動を、否定することになってしまいます。ここまで努力をして、してきたこと(ある意味、自身の人生をかけてしてきたこと)を否定することは、彼女の人生のすべてを、言い換えると彼女自身のアイデンティティを否定することになります。だから、反対に、より強く協会の教義とその信仰に、(統一協会とその教義以外には何の寄る辺もない身ですから、もっと率直に言いますと、統一協会とその教義に骨までしゃぶられているわけですから)、意固地になってしがみつくのです。
以上のように、統一協会の教義にしがみつかないと、言い換えると、それ以外に自分のしてきたことを正当化するすべは何もありません。そのため、A子さんは、「祖先が苦しんでいるのを救うためには、どうしても献金が必要である。」 とか、「今は嫌がられていても、死んだときには、おじや息子も、私のした献金によって、神様に救われるのだから。」 など、「罪の深い私自身も、献金によってのみ、神様を喜ばすことができるのだ。」 とかの教義をより強く信じるようになるのです。あるいは、そういうようにして納得するように努力してきたのでしょう。これらは、すべて、協会がA子さんから、献金を引き出すために、非常な時間と労力をかけて、信じこませようと仕組んできた成果なのですが。
(2023.1.16.)