学校教育はなぜ必要か   -認知心理学からの試案-

Y. 習熟による勉強法

「習熟(“自動化”)の4つの効能」を見事に実現した勉強法が2つあります。それらを紹介したいと思います。

 

a) 「公文式」:下位技能の自動化

公文式という独特の勉強法で知られる塾があるのを、多くの方がご存じだと思います。そこでは、プリントで配られる単純な問題を、子供たちに繰り返し徹底的に反復練習させるという方法論をとっています。今までに述べた観点から言えば、それは習熟による自動化を徹底的に行っていることにほかなりません。例えば、幼児期の算数1)では、まず、@破線で書いた数字をなぞらせる。それができると、次に、A順番に並んだ数字の見本を見ながら、次ぎ、次と数字を書かせます。そして、数字がわかり、書けるようになると、B1けたの足し算をたくさんさせる(それも、最初は、「1」の足し算、2+1=?というようなレベルから始めます)。Cそして、次には、「2」の足し算を行う。3+2=?‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥.その後で、D2けたの足し算に進んで行く。 ただし、それぞれで、十分に繰り返し練習して、身につけて/習熟できてから、次のステップに進んで行くというのが、ミソです。(なお、基本計算の“自動化”に関しては、の最後え紹介しました)。

 

このような方法で、学力がつくのか、頭が良くなるのかというと、以下の理由からそういえます。わかっていただけると思うのですが、まず、数字が正しく書けなければ、あるいは、「この文字は数字の何だったっけ?」、などと考えるようでは、当たり前ですが、計算のしようもありません。それに、1桁の足し算が頭を使わずに、見たら答えがわかるという状態でなければ、2桁以上の計算は不可能です。また、計算問題を徹底してさせることについては、応用問題をする場合に、計算にてこずっていては、それを解くことは困難です。計算なんかは平気で余裕でできるという状態になっていてはじめて、応用問題の中核部分に集中できるのです。つまり、この公文式の方法は、言わば、その人の頭(知的能力)のすべてを、それが必要とされる(言い換えると、当人にとってチャレンジイングな)部分に使えるように、準備をしているのです。

 

以上のように、このような公文式の方法論は合理的であり、妥当な方法と言えます。その方法は、直接頭を良くする方法ではありませんが、その方法論は手段であり、下位の認知技能に習熟させることによって、その児童が、種々の勉強の場面で、自身の能力を、つまり、その時点のその人にとってチャレンジィングな部分、もっとも肝要な部分にすべて使えるように準備させているのです。

 

以上のように、皆様、公文式の方法論が本稿で述べてきた内容「X. 習熟(自動化)がもたらす4つの効能の実践であると、気づきのことでしょう。念のために、その図式を当てはめてみますと、

1.習熟による技能の質的向上

2.習熟による自動化

3.肝要なことに集中できて、それらに頭を使える

4. 考えた(3.でした)ことが新たな記憶となる

公文式は、反復練習を徹底させることで、「1.」と2.とを実現して、それによって3.を可能にしているのです。つまり、多くの下位の認知技能を、自動的に頭を使わずにできるようにして「2.」、その人の知的能力(言わば、“その人の頭” を最大限、肝要な作業・部分に集中して使えるようにしているわけです「3.」。先の小学1年生の初期の計算の例で述べますと、数字なんかはもう十分に簡単に書くことができて、その意味も十分にわかっている状態を作っておいて「1. 2.」、足し算という、その時点でのその生徒にとってもっとも大切な課題に、その人の能力のすべてを使えるようにしているのです「3.」。そして、そのように頭を使ったことが、新たな記憶として学習されていくのです「4.」。

 

b) 陰山メソッド(徹底反復練習法)

多くの方が、ご存じのように、徹底反復練習に主眼をおいた陰山英男先生の学習方法が注目され、それの実践用のドリルが数多く販売され、今ではその方法が学習指導要領の小学生の算数の計算練習の中にもとりいれられています。

 

その方法をご存じであれば、本稿をここまで読まれた方には、その方法論が本稿で述べてきた「X. 習熟(自動化)がもたらす4つの効能の実践であると、気がつかれたことでしょう、ここでもう少し、陰山メソッド(徹底反復練習法)について、見てみたいと存じます。(なお、陰山先生ご自身もご自分の方法が、公文式の方法と同じであると認めておられます)。

 

陰山メソッドが、最初に注目されたのが、陰山先生の、兵庫県の朝来町(あさごちょう。古くは、生野銀山のあった所です)にあった小学校での実践でした。その山間の町の小学校の卒業生の約2割もの子ども達が、難関大学に合格できたというものでした。そして、それが多くの雑誌2)、NHKの「クローズアップ現代」などに、「奇跡の教育革命」として取り上げられ、彼の著作、「本当の学力をつける本」3)がベストセラーとなりました。

 

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陰山は、「漢字をきちんと書けるようにすること。それが私が読み書き計算の実践を進める中で、最後まで残った課題でした4)。年度末、まとめのテストの結果にはいつも悔しい思いをしました。考えたすえに思いついたのが、計算や暗唱で子どもを伸ばした指導原則、限定された内容を、単純な方法で徹底的に繰り返えすこと でした」と、述べておられます(著者註:これこそ公文式です)。そして、その実践として、小学生達に、漢字の読み書きを徹底して繰り返してもらって、上記のような大成功をおさめられたのです。

 


 

 

・陰山メソッドは、単なる漢字の徹底反復練習ではない

 しかし、具体的なドリル4)を見て、私は驚きしました。陰山メソッドは、単なる漢字の読みと、書き取りの徹底反復練習ではなかったのです。

一例として、「徹底練習のためのドリル」のある頁の一部(下の図)を見ていただきますと、それは、単なる漢字熟語の読み書きのドリル練習ではないのです。(なお、単なる漢字のドリルというのは、文ではなくて、よくあるような熟語や単語だけの問題です。それでは、個々の言葉が関連性もなく並んでいます)。

 

陰山メソッドのドリルは、下の図のように、1問が、1文となっています。つまり、文単位の練習になっています。ですから、私の「文章を読むときの図」で言う@からDまで、つまり、単語の意味の理解(@〜B、および、文の意味の理解(C、D)までを含んだ反復練習となっています。

 


 

 

陰山メソッドでは、文章理解の基礎的過程である(@〜D)を、非常に多種類の文を用いて繰り返し、練習させることで、さまざまな文(文脈)の理解過程に習熟できるようにしています(たとえば、上の図のように、漢字を書く問題と読む問題に同じ文を用いています)。つまり、文単位の問題を繰り返し練習させて、文の理解(@→D)を、頭を使わずに自動的にできるようになることを目指しているのです。そうやって、その成果として、本人の能力を、本当の意味で文章を読むこと(E)に集中できるように準備しているのです。

 

繰り返すまでもないかもしれませんが、陰山先生の方法は、まさしく、先にあげました「習熟(“自動化”)の4つの効能」のすべて「1. 2. 3. 4.」を実行されています。つまり、そのいうことをマスターした小学生は、彼らの種々の教科書を読むとき、@からDまでの過程にはほとんど頭を使うことなく自動的にできるようになっている「1. 2.」はずです。そうして、文章理解の最も重要な過程(E)に集中して頭を使えるようになっている「3.ので、当然、Eの過程のパーフォマンスが向上するはずです。そうすると、頭を使って一生懸命考えたことが記憶に残る「4.」ので、E「その文章全体の理解や主旨、要注意、重要箇所への留意、自分の意見、考えの作出」などを考えられるので、その文章で学んだ知識などが新たな記憶として習得できるのです。

 

c) 陰山先生は小学校の先生

しかし、すでに気がつかれた方がおられるように、ここで大きな問題がおこります。陰山先生は、小学校の先生でした。それも、低学年の先生でした。考えてみてください、先生がそこで教えたことが、あるいは子供たちがそこで学んだことが、大学の入学試験に出るでしょうか、役立つでしょうか。そんなことはありえません。

別の面から言いますと、小学校から大学入試までは、最低で6年間あります。しかも、その間に、通常の中学や高等学校などでもっと多くの(普通の)教育を受け、勉強をします。それなのに、どうやって、小学校低学年の時に受けた“陰山メソッド”が、そのような長い期間の後でも役立だったというのでしょうか?

 

1. 徹底反復練習法と、一般的な授業方法との相違

先ず手始めに、徹底反復練習法と一般的な授業方法との相違について考えてみましょう。徹底反復練習法(陰山メソッド、公文式)の特徴は、「徹底的に繰り返し練習をすること」にあります。それに対して、一般的な授業方法では、ある課題について大半の生徒が正しく答えられるようになったところで、あるいは、先生が経験的に多くの生徒が理解できるようになったと思えるまでの授業を実施して、次の課題に進んでいきます。

 

今まで述べてきたことからおわかりのように、両方法の一番大きな差は、2.習熟による自動化にあると考えられます。徹底反復練習の方法では、十分な反復練習によってそれが達成されるまで練習が繰り返されます。すでに述べてきたように、「2.の達成ためには、繰り返し、繰り返しの練習が必要ですから、一般的な授業方法では、何とか正解できるようにはなりますが、2.までには至ってないことになります

 

特に、2.習熟による自動化は、クリティカル(最重要)です。なぜなら、今までに述べてきたように、それができて始めて、「3.肝要なことに集中できて、それらに頭を使える」が可能になるからです。そして、「3.」ができたことが記憶されることにつながるからです「4. 考えた(3.でした)ことが新たな記憶となる」。ですから、両授業方法の違いは、程度の差ではなくて、質的な相違を生み出します。

 

もっと具体的に述べますと、両勉強法の後で、そこで習った単語などが含まれる次ぎの課題(文章)に進んだとしましょう。徹底反復練習の後では、「2.習熟による自動化」が十分になされているので、その文章に出てくる単語の意味がおのずとわかって、その人は、3.が可能です。そうすると、「3.」でしたその文章について考え理解した内容を憶えていくことになるでしょう「4.」。

 



 

 

他方、一般的な授業方法の後では、「2.習熟による自動化」が十分ではないので、そうやって習った単語について、「この単語の意味は確か○○だった」などと頭を使って想い出さないといけないことになるはずです、そうなると、その人は、その文章について考えること「3.」が十分にできないことになります。そのため、その文章の内容を憶えること「4.」があまりできないはずです。以上のように、徹底反復練習の後では、次ぎに進んだ課題(文章)から新しいことを憶えていくことが容易なのに対して、一般的な授業方法では、新しいことを憶えていくことがあまりうまくいかないことになります。以上のように、両勉強法の差は、次の勉強に進んだ特に、クリティカルな差を生じさせます。

 

. この項の結論

以上をまとめますと、徹底反復練習法では、次のものを勉強して憶えていく準備ができているのに対して、一般的な授業方法では、次のものを勉強して憶える準備が十分ではないのです。そのために、徹底反復練習のあとでは、次々と新しいものを憶えていくことができるのに対して、一般的な授業方法のあとでは、上で述べたように、次の課題に進んだ時に新しいものを憶えるのがあまりうまくいかないことでしょう。

 

徹底反復練習法のあと:つまり、下の図のように、徹底反復練習法のあとでは、得られた脳内言語辞書や脳内百科事典から十分な支援を得られるので、次ぎ次ぎに新しく考えたものを憶えることができて、それらを段々と更新していくことができる。言わば、利息の複利計算のように増やして行くことができるでしょう。

 

一般的な授業方法のあと:ところが、一般的な授業方法のあとでは、得られた脳内言語辞書や脳内百科事典から(上記の徹底反復練習のあとのような)良質な支えを得られないので、新しいものに集中することができないので、新しいものをうまく憶えていくことができない。せっかく勉強しても、それらの辞書や辞典をあまり向上させることができない。さらに、先に進んだときにも、徹底反復練習の後で手に入れた辞書や辞典に比べて、良質でない支えしか受けられないので、またもや、新しいものに集中することが難しく、効率よく勉強することができない。そのため、その新しいものをうまく憶えていくことができない。たとえて言うと、いつもその場限りの、利息の単利計算を繰り返しているようなものになるのではないでしょう。以上のように、徹底反復練習法と一般的な授業方法との差は、最初は小さいものかもしれないが、勉強が進んでいくにしたがって(学校や学年が上がっていくほど)、逆にその差はむしろ大きなものになっていくのではないでしょうか。

 


 

 

陰山自身も、「習熟した内容こそが次なるものを学習していくための『学習能力』となるのですと述べています(岸本・蔭山, 20015)。まさしくその通りです。また、このように考えますと、陰山先生が小学生の子供たちに対して行ったことが、大学入試にまで,あるいは一生効力を発揮したことの謎が解けます。

また、このような効果は、「教育のマタイ効果」と呼ばれて、すでに指摘されているようです。

 


 

 


 

Z. 徹底的反復練習による勉強法の限界、制限

a) 徹底的反復練習の特別な効能

最後に、しかし、「(公文式を含む)徹底的反復練習法に、何か制限はないのか。言い換えると、何か有効な課題、認知作業とかがあって、反対に、効果が期待できない課題、認知作業はないのか」について、考えてみたいと思います。まず、皆様もおわかりのように、B stageのような課題(文章の理解、そこからの知識の習得)には、どう考えてみても無効ではないでしょうか。(ただし、文章の理解に対しての徹底的反復練習法の試みを、この章の続くⓓとⓔ、及び本稿の最後の章❺で述べてみたいと思います)。

 

少し理論的に申しますと、(❸の最初のほうで述べたので、理由はおわかりのことと存じますが)、徹底的反復練習法が特別な効能をもたらしてくれるのは、2. 習熟による自動化できる課題、認知作業に限られます。

遅まきながら、本稿で述べている「自動的」と言うことを、一応定義しておきますと、以下のようになると思います。

自動的:読むと、考えることなどまったく必要なくて答えが得られて、そのために、同時に行っている認知的作業に干渉、妨害することのない知的作業

 

(今までに述べてきましたように)、1.一般に繰り返し練習・学習することは、(徹底的反復練習法に限らず)、その記憶を向上させ、その技能を上達させてくれます。しかし、徹底的反復練習法が特に威力を発揮するのは、上でも述べたように、2.習熟による自動化できる課題・認知作業に限られます、そこで、そういう課題・認知作業にはどういうものがあるのか、考えてみたいと存じます。

 


 

 

b)  習熟による自動化できる課題・認知作業

基本計算(1桁の足し算、引き算、九九計算)

 これは、公文式の出発点となったものであり、陰山メソッドでも面目躍如たる部分でもあります。ただし、それにはもっと根本的な、「数字」そのものの知覚、“数字の意味”の理解を含んでいます。特に、“数字の意味”の理解は、(当たり前でだれでも自然にできていると思われているようですが)、本質的で、これが本気でできていなければ、最初の一歩が始まりません。

 

基本計算(1桁の計算)に対して、桁上がりなどが必要な「2桁」以上の計算には、頭の中での数字の操作が必須なので、“自動的に”できるとは、言えないように思われます。たとえば、そろばんの熟達者は、非常な高速での計算(暗算)ができてすごいですが、それは、あくまでも数字の操作を超高速で行っているだけで、「読むと、考えることなどまったく必要なくて答えが得られる」というのとは違うと考えられます(数字の操作=頭の働き=広い意味での考えること)。そこで、そろばんの練習をすればするほど、計算は非常に速くなります「. 習熟による技能の質的向上」。しかしながらそれは、「2. 習熟による自動化」とは違うように思われます。(この考えの補助的な証左なるのは、電卓による計算をいくら繰り返しても、―電卓の操作はすばやくなりますがー 計算そのものは少しも上達しない ーひょっとしたら、後退するー 事実です)

 

算数に関しては、ですから、徹底的反復練習法は小学校の低学年では本質的な有用性をもっています。しかし、それより上の段階については、たとえば公文式について、その塾では長年の実施経験によって、有用な方法論的を蓄積、馳駆されているとは存じますが、他の学習、練習方法と特段の優位性は持ち得ないように考えられます。皆様はいかが考えられるでしょうか。

 

漢字の読み書き

これも、公文式や陰山メソッドの出発点となったものであり、面目躍如たる部分です。これについては徹底的反復練習法は格別有効です。ただし、通常の学校教育でも、似たような方法が取り入れられていますが、それでも、この部分に関しては、公文式の塾は、それだけではなくて、それを効果的に児童にしてもらう側面などについての実際的なノウハウをたくさんお持ちだと思われます、そのために、公文式の塾にかよったり、それらのドリルを買ってやってみることは意味のあること存じます。

 

また、すでに申しましたように、我々でも文章を読むときに、漢字について、「これは何だっけ?」などと、考えることは滅多になくて、すらすらと読むことができます。また、文を書こうとするときにも、「この漢字はどう書くのだろうか? この漢字は何だったろうか?」などと、滅多に考えることはなくて、すらすらと書くことができます。(現在では、ワープロにこの部分はお世話になっていますが、もしもその漢字変換が間違っていれば、即座に気がつきます)。以上のように、漢字の読み書きについては、我々は、ほとんど「2. 習熟による自動化」の域に達しており、また、この能力は、普通の社会生活をしていくために、あるいは、「日本語」による知的な活動を行うために、必須です。

 

  言葉/単語の意味(脳内言語辞書)

 すでに繰り返し述べてきたように、我々は各単語の意味などを“自動的に”すばやく理解しながら(ただし、意味だけがわかればその文が読めるというわけではなく、すでに述べた下の表のように、それ以外の側面も同時にわかる必要がある)。そうやって、その文全体の意味を理解することを日常的に繰り返ししています。

 


 

 

 すでに述べてきたように、これには単文による徹底的反復練習法(たとえば、陰山メソッド)が非常に有効であると考えられます。そこで、少なくとも小学校まででは、単文による徹底的反復練習法が非常に有効であり、公文式や陰山メソッドは非常に役立つと考えられます。たとえば、陰山先生の朝来町での成果のように。

 

文章(国語)の徹底的反復練習法による学習

しかしながら、中学になると、公文式の教本6), 7)でも、概ね文章そのものが課題となっており、他の学習方法と大差の無い課題、問題か用いられており、徹底的反復練習法が採用されているわけでは無いようである。

国語課題の例:国語教育の目標は、文章から学ぶ、文章を学べることができるようにすることであり、本稿で述べたB Stageが可能になることである。そうであれば、B Stageが可能になるような、徹底的反復練習法によってそれを支援するような勉強方法はないものだろうか? 学校では学年進行にしたがって、次第に難しい文章を学んでいくという形式をとっているので、生徒に教科書の長文をそのままの形で与えて読んでおくことを予習として求めて、授業中に解説していくというスタイルだけでいいのでしょうか? もっと各文章の理解のために必要となる種々のプロセスについて、直接的に手助けをしてあげるような方法は無いものだろうか? その一つの試みとして、徹底的反復練習法による文章の理解の手助けの試みの一例を、国語課題として、最後の❺に掲載しました。(ご検討して、ご批判をいただければと存じます)。

 

英語の文章の徹底的反復練習による学

英語の学習においても、徹底的反復練習法による適切な課題を作ると、英語の学習に有効かもしれません。野口悠紀雄氏は、その著書「趙勉強法」の中で、英語の勉強には、「英語は教科書を丸暗記」することがいい方法であると述べておられます8)。これは、私には、本末を転倒した言葉のように思われます。いわゆる丸暗記(本質の理解は抜きにして、そっくりそのまま暗記すること)ではなくて、英語の文章(たとえば、教科書の文章)に習熟することで、その結果として、丸暗記できている状態になる、必要があるのではないでしょうか。野口氏は、丸暗記のやりかたとして、「教科書を二十回音読して、丸暗記せよ」と述べているが(意味もよくわからないものを丸暗記的に読んで何になるのだろうか?)、私は、英語の文章を色々な方向から触りながら自身で学習を繰り返すと、やがて丸暗記できる、それが必要な要件であると考えるのである。そう、生徒にしてもらえるには、(❺で例課題をご紹介する)英語文章の徹底的反復練習法が可能と考えているわけである。

 


 

 

ここでであげた徹底的反復練習法による課題は、「その文章に習熟することで、その結果として、丸暗記できる」方法と考えられます。そのような英語課題の例を2つ❺でご紹介します。(是非、読者諸君にご検討してみていただいて、ご批判をいただければと、切に思うのですが)。

 


 

[. 補足:2種類の能力と測定方法

今まで述べてきた中で、人間の知的能力には、結局は2種類あるとしてきました。A stageであろうと、B stageであろうと、基本的に2種類の能力(下の図の、青い太い破線と、紫色の破線とに囲んだ部分)があります。❸の最後のほうで述べたように、しかも、A stageB stageとでよく似ているので、それらを合せて、この図の右側のようにまとめることができると述べました。

 


 

 

1. 2種類の能力

この2つの能力を便宜的に、α能力、β能力と名付けて、整理してみたいと存じます。一つめの「α能力」は、EやE’として示してきた、「その文や文章について意図的に考える、あるいは知らない単語について意図的に考える力で、そして、自分にとってまだ知らない知識や言葉などについて憶えようと努力をする」ことです。もう一つの「β能力」は、ひと言で言えば、「辞書的な記憶、知識」で、その主たる部分は、❷の最後のほうで、脳内言語辞書と脳内百科事典、および、“認知フレーム”であると述べました。

 

2つの能力の相互作用:これら2つの能力は、繰り返しになりますが、互いに独立ではなくて、相互に作用し合って、本質的に相互依存的です。

一つは、α能力で考えた、注目したものやこと(種々の知識、言葉の意味や概念、など)は、習得されて、β能力になっていきます。ですから、 β能力は、日常的に(学習、勉強のたびに)、より大きく、より高度なものに増補改訂されていきます。また、β能力はその本質的な機能として、α能力を支えています。それも、最良の状態では、我々が日常的に文章を読んでいるときに言葉の意味が難なく(自身でいちいちその意味を想い出しているのだと意識することなく)わかるように、β能力は“自動的に”、“おのずと”、α能力を支えます。

 


 

 

2. α能力、β能力を別個に測定するテスト

ここまでで述べてきた本試論を検証するには、どうしても両能力を別個に測定する必要があります。しかしながら、それはなかなか難しいことです。というのは、我々の知的な能力の検査法は、ほとんど例外なく、α能力+β能力(正確に言うと、β能力に支えられたα能力)の検査だからです。学校でのほとんどすべてのテスト、入学試験、資格試験などは、それらはすべてそうです。でも、2つだけ例外があります。少なくとも、α能力、β能力それぞれの能力だけの測定を目ざしたテスト方法が存在します。最後に、それらについて説明します。

 


 

 

3. 主にα能力だけを測ろうとするテスト (リーディング・スパン・テスト8)9)

 本稿でα能力と呼んできたものは、従来の認知心理学の「ワーキングメモリ」という概念に近いと言えると思います。ワーキングメモリは、情報の処理と保持という二つの機能を同時に果たすと考えられていて、その二つを合わせた能力に(かなり小さな)容量限界を持つ(註:多くのことを同時にはできなし、多くのことを平行して憶えておくこともできなという意味)と考えられています。そこで、ワーキングメモリの大きさ(容量)を測るためのテストによって、α能力も計れると考えられます。

 

ワーキングメモリの大きさ(容量)を測る方法として、いくつかの測定方法がありますが、ここではその中の代表的な「リーディング・スパン・テストReading Span Test)」を取り上げて説明してみたいと思います。そのテストでは文を読むことと、その文の中の単語を覚えることを、被検者に平行してしてもらいます。下の図のような文を一つずつ提示して、それを口に出して読んでもらって、その中の一つの単語を覚えておいてもらうという複合課題です。つまり、文を読むことと同時に、単語(この例文では、下線を引いた単語)の記名保持という認知的作業を同時平行でしてもらうテストです。

 


 

 

被検者(被検査者)に要求しているのは文を読み上げるということですが、日本語話者(日本語を母国語として日常的に使っている人)であれば、そのような場合には、その文の意味の理解(今までに述べてきた「文章を読むとき」の@〜Dの過程)を必然的に行うことになります(一般的に、文を見ると、我々は当然のこととしてその文の意味を理解しようとします。反対から言いますと、日常的な状況で、文を見ると、その文の意味を理解しようとせずにはおられません。後述する「備考」のところを参照)。そこで、被検者には、その文を口に出して読むこと(すなわち、理解すること)と、指示した語を記名して憶えておくという2種類の作業を平行して、してもらうことになります。

 

 具体的には、2文条件、3文条件、4文条件、5文条件を、各文条件を5回ずつ、ランダム順にしてもらう。そして、何文条件までできるかで、その人のスパン(大きさ:範囲は2.0から5.0)を決定します。例えば、3文条件では、下の表にあるような問題文を1文ずつ提示して、それを口に出して読んでもらい、その都度下線部の単語を覚えてもらう。そして、3文が終わった後で(被検者には3文で終わることがそこで始めてわかることとなる)、覚えた単語をすべて紙に書いて答えてもらう。各文条件を5回ずつ繰り返す(全体では、4つの文条件⦅2,3,4,5文=計14文⦆×5回=70文についてしてもらうこととなる)。そこで、例えば、2文条件を5回とも完答できて、3文条件を0回か1回しかできなければ、その人のスパンの大きさは「2」と判定される。3文条件を2〜3できれば、その人のスパンの大きさは「25」と判定される。そして、3文条件を4回か5回できれば、その人のスパンの大きさは「3」と判定される。…………………………。このようなルールを定めて、「2」から「5」まで、0.5ステップで判定していきます。

 


 

 

リーディング・スパン・テストがどのようなものであるかは、すぐれた論文や書籍8) 9)などを参照していただきたい。ただし、リーディング・スパン・テストについて、もう少し考えるために必要なコメントを備考として以下に付記しておきます。

 

備考リーディング・スパン・テストを理解するために

1) 被検者が問題文を難なく読める能力(β能力)をもっていることが、この検査を実施するための必要条件である。例えば、問題文にその被検者にとって読み方のわからない漢字や知らない単語があった場合には、それをどう読めばいいのか、あるいはどういう意味なのだろうかなどと考えてしまって、ターゲット語(憶えるべき語)を憶えることがおろそかになってしまう。たとえば、最初の問題文の例文中の「怒り」や、3文条件の例文中の「封筒」という漢字を知らなかった、あるいは、あやふやだった被検者の場合、それが含まれていた条件文の成績が悪くなってしまう。

 

2)上のように、β能力がかなり劣っていると、その結果としてリーディング・スパン・テストの成績が悪くなってしまう可能性がどうしても残る。そのため、均質な集団内でのみ、リーディング・スパン・テストの成績がα能力の差を反映していると考えるべきであろう。

 

3)各文は、複雑ではないが、例文のように、少し長めの文である。そのため、やはりある程度以上のβ能力を持っている人だけを対象としていることとなる。

 

4) リーディング・スパン・テストの結果をみると、(偏差値の高い)同じ大学の同じ学部の学生(学力的には、かなり均質な集団であると推定できる)の成績が、2.0から5.0とばらついている8) 9) など。それゆえ、リーディング・スパン・テストの結果は、かなり正しく、α能力の違いを反映していると推測される。

 

5) 問題文で、主語や動詞をターゲット語(憶えるべき語)に設定していない。そうすると成績が良くなる。文を読む(その意味を理解しようとする)ときには、通常主語や動詞に注目して(重きを置いて)読むからである。(このことは裏側から見ると、一般にリーディング・スパン・テストを受ける被検者が、その文の意味を理解しながら読んでいることを保証している)。

 

6) 上で述べたように、人は普通に文を読むときには、おのずと主語や動詞に注意を向けるので、普通あまり注意を向けられない単語を憶えようとするには、その語に意図的に注意を向けないといけないので、意図的にあるものに注意を向ける能力をワーキングメモリの働きの一部と考えているので、リーディング・スパン・テストがそのような語をターゲット語としているのは、ワーキングメモリの検査法として妥当である。

 

7) できるだけ文の意味を取らないで、棒読みをして(口先だけで読んで)、それも小さな声で読んで、ターゲット語だけを大きな声で読むなどすると、誰でも5文条件でも完全正解することができる。そのため、リーディング・スパン・テストを実施する際には、検査者と被検者とが1対1となって、被検者がそのような読み方をしていないことを確認しながら実施する。(裏側から見ると、これらのことは、一般にリーディング・スパン・テストを受ける被検者が、その文の意味を理解しながら読んでいることを保証することとなる)。

 

8) 日本語は、わりと文を平板に読むだけなのではっきりしませんが(それでも極端な棒読みは察知できますが)、英語の場合には、ちゃんと読んでいるのかどうか、はっきりチェックすることができる。英語では、各単語がストレス(アクセント)をもっていること、また、文の中の重要な語を強く言う(stress)という習慣や、フレーズになっている部分(例:“no gleam of triumph”、“no shade of anger”)は、ひとまとまりにして速く読むといった習慣がある。(そのため、英語ではその文をちゃんと読んでいるのかどうかチェックしやすい)。(日本語でも、文をちゃんと読んでいる場合には、正しいアクセントで読まれる)。

 

9) 2文から5文まで、それぞれの問題文の間には関連性がなく、それらの文は互いに独立している。そのため、一つの文を読むとその文そのものは忘れてしまっても問題の無いように設定している。つまり、文の数が増えても、文の意味を理解するという処理に次第に大きな負荷がかかっていくと言うことはない。

 

10) (上記のように、文の意味の理解という点では、文の数が増えても大差は無いが)、記憶という面では、2文から5文にかけて負荷が大きくなっていると推察される。5文条件の場合、すでに(無関連な)語、4語に注意をむけて憶えて(保持して)いるのに、文の理解という点ではさほど重要ではない語(ターゲット語)に注意を向けて、それを憶えて(記銘して)、その4語に新たに加えるというのは、かなりの負荷のかかる処理となる。このように、2条件文から5条件文に向けて、単に記憶の語数が増えるというのではなくて、より負荷の高い課題となっていると推測される。当たり前ですが、それに、憶えていなければ時間もそれなりに長くなる。

 

4. クイズ:主にβ能力だけを測ろうとするテストとは?

世の中に、主にβ能力だけを測定することを目指したテストが存在します。それは、非常によく習得されたβ能力の最大の特徴、ほとんど自動的に答えることができる。つまり、非常に高速で答えることができるという特徴を最大限に捉えようとするテストです。その特徴を以下に挙げますので、皆様、どうかご自分で考えてみてください。答えは、次の❺の最後のほうにあります。

 

優れたβ能力の最大の特徴は何でしたか、想い出してみてください。それは以下の2点でしたね。そのため、以下のような性質を持った問題が必要となることでしょう。

1. 習熟による技能の質的向上→高い正答率

2. 習熟による自動化→非常にすばやく答えられること

 

 両者の中で、頭を使ってゆっくり考えることによっても、正答率を上げることが可能なので、正答率よりも、高速で答えられることに主眼を置いた試験方法(問題)にすべきです。

そのためには、以下の3つを満たした問題設定が必要です。

1) 誰にも試験時間内に答えられないほどの大量の問題が出ること。

2) 完全に答えられることよりも、高速性を重んじるために、正答率よりも、どれだけたくさんできたかのほうを重視する。(具体的には、厳しい時間制限内にできた正答数で採点する。まず、100点満点を取れる者は、一人もいない、また、試験をするほうも、それを期待してはいないので、例えば、全問の80%以上正答であれば、それで合格とする)。

3) 高速で答えられることをみるためのものなので、答えること自体が高速にできる問題形式であることが必要である。具体的には、4肢選択などの解答方式を用いることが必要である。例えば、当人に解答を記入させる方法では、答えを書くこと自体に時間がかかってしまう。さらに、難しい漢字があって、その漢字を想い出しながら書いたりしたら、この試験は成立しなくなってしまう。

 


 

 

 

引用文献など

1) 公文 寛 たしざんおけいこ〈1集〉4. 5. 6 (くもん式の基礎学習シリーズ)  くもん出版, 2000.

2) プレジデント(プレジデント社) 2002, 916日号.

3) 陰山英男 本当の学力をつける本 文藝春秋, 2002.

4) 陰山英男 徹底反復漢字プリント 小学館, 2002.

5) 岸本浩文、陰山英男 やっぱり「読み・書き・計算」で学力再生 兵庫県山口小学校10年の取り組み 小学館,  2001.

6) 中3国語 解読編 くもんの中学基礎がため100% 公文出版, 2012.

7) 国語 高校入試完全攻撃トレーニング@ 中学国語の層復習 公文出版, 2012.

8)野口悠紀雄 「趙」勉強法 講談社, 1995.

8) 苧阪滿里子 苧阪直行 読みとワーキングメモリ容量―日本語版りぃーディングスパンテストによる測定― 心理学研究, 1994, 65, 339-345.

9) 苧阪滿里子 脳のメモ帳 ワーキングメモリ 新曜社, 2002.