学校教育はなぜ必要か -認知心理学からの試案- 後編

 

X. 習熟による勉強法

「習熟(“自動化”)の4つの効能」を見事に実現した勉強法が2つあります。それらを紹介したいと思います。

 

a) 「公文式」:下位技能の自動化

公文式という独特の勉強法で知られる塾があるのを、多くの方がご存じだと思います。そこでは、プリントで配られる単純な問題を、子供たちに繰り返し徹底的に反復練習させるという方法をとっています。今までに述べた観点から言えば、それは習熟による自動化を徹底していることにほかなりません。例えば、幼児期の算数8)では、まず、@破線で書いた数字をなぞらせる。それができると、次に、A順番に並んだ数字の見本を見ながら、次ぎ、次と数字を書かせます。そして、数字がわかり、書けるようになると、B1けたの足し算をたくさんさせる(それも、最初は、2+1=?というようなレベルから始めます)。Cそして、次には、2の足し算を行う。‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥.その後で、D2けたの足し算に進んで行く。 ただし、それぞれで、十分に繰り返し練習して、身につけて/習熟できてから、次のステップに進んで行くというのが、ミソです。(なお、基本計算の“自動化”に関しては、中編で紹介しました)。

 

このような方法で、学力がつくのか、頭が良くなるのかというと、以下の理由からそういえます。わかっていただけると思うのですが、まず、数字が正しく書けなければ、あるいは、「この文字は数字の何だったっけ?」、などと考えるようでは、当たり前ですが、計算のしようもありません。それに、1桁の足し算が頭を使わずに、見たら答えがわかるという状態でなければ、2桁以上の計算は不可能です。また、計算問題を徹底してさせることについては、応用問題をする場合に、計算にてこずっていては、それを解くことは困難です。計算なんかは平気で余裕でできるという状態になっていてはじめて、応用問題の中核部分に集中できる、それに頭を使うことができるのです。つまり、この公文式の方法は、言わば、その人の頭(知的能力)のすべてを、それが必要とされる(言い換えると、当人にとってチャレンジイングな)肝要な部分に使えるように、準備をしているのです。

 

以上のように、このような公文式の方法論は合理的であり、妥当な方法と言えます。その方法は、直接頭を良くする方法ではありませんが、公文式の方法論は手段であり、下位の認知技能に習熟させることによって、その人(児童)が、種々の勉強の場面で、自身の能力を、もっとも肝要な部分、つまり、その時点のその人にとってチャレンジィングな部分にすべて使えるように準備させているのです。

 

以上のように、皆様、公文式の方法論が本稿で述べてきた内容「W. 習熟(自動化)の大切さ」の実践であると、気づきのことでしょう。あらためて、「習熟(“自動化”)の4つの効能」の図式を当てはめてみますと、

1.習熟による技能の質的向上

2.習熟による自動化

3.肝要なことに集中できて、それらに頭を使える

4. 考えた(3.でした)ことが新たな記憶となる

公文式は、反復練習を徹底させることで、「1.」と2.とを実現して、それによって3.を可能にしているのです。つまり、多くの下位の認知技能を、自動的に頭を使わずにできるようにして「2.」、その人の知的能力(言わば、“その人の頭” を最大限、肝要な作業・部分に集中して使えるようにしているわけです「3.」。先の小学1年生の初期の計算の例で述べますと、数字なんかはもう十分に簡単に書くことができて、その意味も十分にわかっている状態を作っておいて「1. 2.」、足し算という、その生徒にとってもっとも大切な課題に、その人の能力のすべてを使えるようにしているのです「3.」。そして、そのように頭を使ったことが、新たな記憶として学習されていくのです「4.」。

 

b) 陰山メソッド(徹底反復練習)

多くの方が、すでにご存じのように、徹底反復練習に主眼をおいた陰山英男先生の学習方法が注目され、それの実践用のドリルが数多く販売され、今ではその方法が学習指導要領の小学生の算数の計算練習の中にもとりいれられています。

 

その方法をご存じであれば、本稿をここまで読まれた方には、その方法論が本稿で述べてきた「W. 習熟(自動化)の大切さ」の実践であると、気がつかれたことでしょう、ここでもう少し、陰山メソッド(徹底反復練習)について、見てみたいと存じます。(なお、陰山先生ご自身もご自分の方法が、公文式の方法と同じであると認めておられます)。

 

陰山メソッドが、最初に注目されたのが、陰山先生の、兵庫県の朝来(あさご)町にあった小学校での実践でした。その山間の町の小学校の卒業生の約2割もの子ども達が、難関大学に合格できたというものでした。そして、それが多くの雑誌9)、NHKの「クローズアップ現代」などに、「奇跡の教育革命」として取り上げられ、彼の著作、「本当の学力をつける本」10)がベストセラーとなりました。

 

スライド53.jpg

 

 

陰山は、「漢字をきちんと書けるようにすること。それが私が読み書き計算の実践を進める中で、最後まで残った課題でした11)。年度末、まとめのテストの結果にはいつも悔しい思いをしました。考えたすえに思いついたのが、計算や暗唱で子どもを伸ばした指導原則、限定された内容を、単純な方法で徹底的に繰り返えすこと』 でした」と、述べておられます(著者註:これこそ公文式です)。そして、その実践として、小学生達に、漢字の読み書きを徹底して繰り返してもらって、上記のような大成功をおさめられたのです。

 

・陰山メソッドは、単なる漢字の徹底反復練習ではない

 しかし、具体的なドリル11)を見て、私は驚きしました。陰山メソッドは、単なる漢字の読みと、書き取りの徹底反復練習ではなかったのです。

一例として、「徹底練習のためのドリル」のある頁の一部(下の図)を見ていただきますと、それは、単なる漢字熟語の読み書きのドリル練習ではないのです。(なお、単なる漢字のドリルというのは、文ではなくて、よくあるような熟語や単語だけの問題です。それでは、個々の言葉が関連性もなく並べられており、ランダム順に並んでいます)。

 

陰山メソッドのドリルは、下の図のように、1問が、1文となっています。つまり、文単位の練習になっています。ですから、私の「文章を読むときの図」で言う@からDまで、つまり、単語の意味の理解(@〜B、および、文の意味の理解(C、D)までを含んだ反復練習となっています。

 


 

 

陰山メソッドでは、文章理解の基礎的過程である(@〜D)を、非常に多種類の文を用いて繰り返し、繰り返し、練習させることで、さまざまな文(文脈)の理解過程に習熟できるようにしています(たとえば、上の図のように、漢字を書く問題と読む問題に同じ文を用いています)。つまり、文単位の問題を繰り返し練習させて、文の理解(@→D)を、頭を使わずに自動的にできるようになることを目指しているのです。そうやって、その成果として、本人の能力を本当の意味で文章を読むこと(E)に集中できるように準備しているのです。

 

繰り返すまでもないかもしれませんが、陰山先生の方法は、まさしく、先にあげました「習熟(“自動化”)の4つの効能」のすべて「1. 2. 3. 4.」を実行されています。つまり、そのいうことをマスターした小学生は、彼らの種々の教科書を読むとき、@からDまでの過程にはほとんど頭を使うことなく自動的にできるようになっている「1. 2.」はずです。そうして、文章を読むときには、文章理解の最も重要な過程(E)に集中して頭を使えるようになっている「3.ので、当然、Eの過程のパーフォマンスが向上するはずです。そうすると、頭を使って一生懸命考えたことが記憶に残ります「4.」。つまり、E「その文章全体の理解や主旨、要注意、重要箇所への留意、自分の意見、考えの作出」などを考えられるので、その文章で学んだ知識などを新たな記憶として習得できるのです。

 

c) 陰山先生は小学校の先生

しかし、すでに気がつかれた方がおられるように、ここで大きな問題があります。陰山先生は、小学校の先生でした。それも、低学年の先生でした。考えてみてください、先生がそこで教えたことが、あるいは子供たちがそこで学んだことが、大学の入学試験に出るでしょうか、役立つでしょうか。そんなことはありえません。

別の面から言いますと、小学校から大学入試までは、最低で6年間あります。しかも、その間に、通常の中学や高等学校などのもっともっと多くの教育を受け、勉強をします。それなのに、どうやって、小学校低学年の時に受けた“陰山メソッド”が、そのような長い期間の後でも役立だったというのでしょうか?

 

1. 徹底反復練習と、一般的な授業方法との相違

先ず手始めに、徹底反復練習と一般的な授業方法との相違について考えてみましょう。徹底反復練習(陰山メソッド、公文式)の特徴は、「徹底的に繰り返し練習をすること」にあります。それに対して、一般的な授業方法では、ある課題について大半の生徒が正しく答えられるようになったところで、あるいは、先生が経験的に多くの生徒が理解できるようになったと思えるまでの授業を実施したあとで、次の課題に進んでいきます。

 

今まで述べてきたことからおわかりのように、両方法の差は、1.習熟による技能の質的向上」と「2.習熟による自動化とにあると考えられます。徹底反復練習の方法では、十分な反復練習によってそれが達成されるまで練習が繰り返されます。それに対して、すでに述べてきたように、「1.」と「2.の達成ためには、繰り返し、繰り返しの練習が必要ですから、一般的な授業方法では、何とか正解できるようにはなりますが、1.」と「2.までには至ってないことになります

 

特に重要なのは、2.習熟による自動化のほうです。なぜなら、今までに述べてきたように、それができて始めて、「3.肝要なことに集中できて、それらに頭を使える」が可能になるからです。さらに、「3.」ができたことが記憶につながるからです「4. 考えた(3.でした)ことが新たな記憶となる」。ですから、両授業方法の違いは、大きなものです。

 

両勉強法の後で、そこで習った単語などが含まれる次ぎの課題(文章)に進んだとしましょう。徹底反復学習の後では、「2.習熟による自動化」が十分になされているので、その文章に出てくる単語の意味がおのずとわかって、その人は、3.が可能です。そうすると、「3.」でしたその文章について考え理解した内容を憶えていくことになるでしょう「4.」。他方、一般的な授業方法の後では、「2.習熟による自動化」が十分ではないので、そうやって習った単語について、「この単語の意味は確か○○だった」などと頭を使って想い出さないといけないことでしょう、そうなると、その人は、その文章について考えること「3.」が十分にできないことになります。そうなると、その文章の内容を憶えること「4.」もあまりできないことでしょう。以上のように、徹底反復学習の後では、次ぎに進んだ課題(文章)から新しいことを憶えていくことが容易なのに対して、一般的な授業方法では、新しいことを憶えていくことがあまりうまくいかないことになります。以上のように、両勉強法の差は、次の勉強に進んだ特に、クリティカルな差を生じさせます(下の図式)。

 


 

 

 もう少し、詳しく見ていきましょう。

2. 新しい語がほとんど無いとき

徹底反復学習後:先ず新しい文章(課題)に進んだときに、その文章にはすでに学習した言葉だけで、新しい言葉がほとんど含まれていない場合を考えてみましょう。徹底反復学習のあとでは、そこで必要とされる単語についてすでに習熟しているので、各単語の意味が、おのずと、“自動的に”、わかるはずです。そうすると、その人は、「E」に集中して考えることができて、その内容が記憶されていくことでしょう(下の図を参照)(言わば、B stageです)。

 

一般的な授業方法後:ところが、一般的な授業方法のあとでは、その文章の中の言葉の意味はわかるとは思いますが、習熟にはまだ至っていないものもあることでしょう。そうなれば、それらの言葉について、(上で述べた徹底反復学習の後のように自動的にとはいかなくって)、「この言葉は前に出てきた。きっと○○という意味だ」などのように、頭を使って意識的に想い出すことが必要でしょう。そうなれば、「D文の意味の理解」くらいまでで精いっぱいで、なかなかEには進めない、それに集中できないのではないでしょうか。そうすると、その文章の内容などの新しいことをあまり憶えられないことになります。つまり、せっかく新しい文章を読んだのに、そこからは多くを学べないことになります。

 



 

 

3. 新しい語が少し含まれているとき

徹底反復学習後:次なる課題として、新しい語が少し含まれる文章の場合、つまり、新しい語を憶えるのを目的として勉強するような場合には、徹底的反復練習のあとでは、それまでに勉強した語については、読めば、おのずとわかるので、新しい、知らない語にだけに集中して、その語の意味などを憶えることができることでしょう(言わば、A stageです)

 

一般的な授業方法後:ところが、一般的な授業方法のあとでは、そこで学習した言葉については、(十分に習熟していないので)、その意味を意図的に、頭を使って、想い出さなければならないものがあることでしょう。そうなれば、知らない新しい語だけに集中すること(E)ができません.そのため、徹底反復学習の後とは違って、それらの新しい語を憶えるのはあまりうまくいかないことでしょう。

 


 

 

4. この項の結論

以上をまとめますと、徹底反復練習では、次のものを勉強して憶えていく準備ができているのに対して、一般的な授業方法では、次のものを勉強して憶える準備が十分ではないのです。そのために、徹底反復練習のあとでは、次々と新しいものを憶えていくことができるのに対して、一般的な授業方法のあとでは、上で述べたように、次の課題に進んだ時に新しいものを憶えるのがあまりうまくいかないことでしょう。

 

つまり、下の図のように、徹底反復学習のあとでは、得られた脳内言語辞書や脳内百科事典から十分な支援を得られるので、次ぎ次ぎに新しく考えたものを憶えることができて、それらをより大きなものに、段々と更新していくことができる。言わば、利息の複利計算のように増やして行くことができるでしょう。

 

ところが、一般的な授業方法のあとでは、得られた脳内言語辞書や脳内百科事典から(上記の徹底反復学習のあとのような)良質な支えを得られないので、新しいものに集中することができないので、新しいものをうまく憶えていくことができない。せっかく勉強しても、それらの辞書や辞典をあまり向上させることができない。さらに、先に進んだときにも、徹底反復学習の後で手に入れた辞書や辞典に比べて、良質でない支えしか受けられないので、またもや、新しいものに集中することが難しく、効率よく勉強することができない。そのため、その新しいものをうまく憶えていくことができない。たとえて言うと、いつもその場限りの、利息の単利計算を繰り返しているようなものになるのではないでしょう。以上のように、徹底反復学習と一般的な授業方法との差は、最初は小さいものかもしれないが、勉強が進んでいくにしたがって(学校や学年が上がっていくほど)、その差はむしろ大きなものになっていくのではないでしょうか。

 


 

 

陰山自身も、「習熟した内容こそが次なるものを学習していくための学習能力(岸本・蔭山, 200115))」となるのですと述べています。まさしくその通りです。また、このように考えますと、陰山先生が小学生の子供たちに対して行ったことが、大学入試にまで,あるいは一生効力を発揮したことの謎が解けます。

また、このような効果は、「教育の新マタイ効果」と呼ぶべきかもしれません。

 


 

 

 


 

Y. 付録:2種類の能力と測定方法

今まで述べてきた中で、人間の知的能力には、結局は2種類あるとしてきました。A stageであろうと、B stageであろうと、基本的に2種類の能力(下の図の、青い太い破線と紫色の破線とに囲んだ部分)があります。中編の最後のほうで述べたように、しかも、A stageB stageとでよく似ているので、それらを一括してこの図の右側のようにまとめることができると申し述べました。

 


 

 

1. 2種類の能力

この2つの能力を便宜的に、α能力、β能力と名付けて、整理してみようと思います。一つめの「α能力」は、EやE’として示してきた、その文や文章について、あるいは知らない単語について意図的に考える力で、自分にとってまだ知らない新しい言葉の意味や知識などを意図的に憶えようと努力をしたりもします。もう一つの「β能力」は、ひと言で言えば、「辞書的な記憶、知識」で、その主たる部分は、中編の最後のほうで、脳内言語辞書と脳内百科事典、および、“認知フレーム”であると述べました。

 

2つの能力の相互作用:これら2つの能力は、繰り返しになりますが、互いに独立ではなくて、相互に作用し合って、非常に相互依存的です。

一つは、α能力で考えた、注目したものやこと(言葉の意味や概念、種々の知識、など)は、習得されて、β能力になっていきます。ですから、 β能力は、日常的に(学習、勉強のたびに)、より大きく、より高度なものに増補改訂されていきます。また、β能力はその本質的な機能として、α能力を強力に支えます。それも、最良の状態では、我々が日常的に文章を読んでいるときに言葉の意味が難なく(自身でいちいちその意味を想い出しているのだと意識することなく)わかるように、β能力は“自動的に”、“おのずと”、α能力を支えます。

 


 

 

2. α能力、β能力を別個に測定するテスト

 ここまでで述べてきた本試論を検証するには、どうしても両能力を別個に測定する必要があります。しかしながら、それはなかなか難しいことです。というのは、我々の知的な能力の検査法は、ほとんど例外なく、α能力+β能力(正確に言うと、β能力に支えられたα能力)の検査だからです。学校でのほとんどすべてのテスト、入学試験、資格試験などは、それらはすべてそうです。でも、2つだけ例外があります。少なくとも、α能力、β能力それぞれの能力だけの測定を目ざしたテスト方法が存在します。最後に、それらについて説明します。

 


 

 

3. 主にα能力だけを測ろうとするテスト(リーディング・スパン・テスト13) 14)

 本稿でα能力と呼んできたものは、従来の認知心理学の「ワーキングメモリ」という概念に近いと言えると思います。ワーキングメモリは、情報の処理と保持という二つの機能を同時に果たすと考えられていて、その二つを合わせた能力にかなり小さな容量限界を持つ(註:多くのことを同時にはできなし、多くのことを憶えておくこともできなという意味)と考えられています。そこで、ワーキングメモリの大きさを測るためのテストによって、α能力も計れると考えられます。

 

ワーキングメモリの大きさ(容量)を測る方法として、いくつかの測定方法がありますが、ここではその中の代表的な「リーディング・スパン・テストReading Span Test)」を取り上げて説明してみたいと思います。そのテストでは文を読むことと、その文の中の単語を覚えてもらうことを、被検者に一緒にしてもらいます。下の図のような文を一つずつ提示して、それを口に出して読んでもらって、その中の一つの単語を覚えておいてもらうという複合課題をしてもらいます。つまり、文を読むことと同時に、単語(この例文では、下線を引いた単語)の記名保持という認知的作業を同時平行でしてもらうテストです。

 


 

 

被検者(被検査者)に要求しているのは文を読み上げるということですが、日本語話者(日本語を母国語として日常的に使っている人)であれば、そのような場合には、その文の意味の理解(今までに述べてきた「文章を読むとき」の@〜Dの過程)を必然的に行うことになります(一般的に、文を見て、普通に余裕があると、我々はその文の意味を理解しようとします。反対に申しますと、日常的な状況で、文を見ると、その文の意味を理解せずにはおられません。後述する「備考」のところを参照)。そこで、被検者には、その文を口に出して読むこと(すなわち、理解すること)と、指示した語を記名して憶えておくという認知作業を平行して、してもらうことになります。

 

 具体的には、2文条件、3文条件、4文条件、5文条件を、各文条件を5回ずつ、ランダム順にしてもらう。そして、何文条件までできるかで、その人のスパン(大きさ:範囲は2.0から5.0)を決定します。例えば、3文条件では、下の表にあるような問題文を1文ずつ提示して、それを口に出して読んでもらい、その都度下線部の単語を覚えてもらう。そして、3文が終わった後で(被検者には3文で終わることがそこで始めてわかることとなる)、覚えた単語をすべて紙に書いて答えてもらう。各文条件を5回ずつ繰り返す(全体では、4つの文条件⦅2,3,4,5文=計14文⦆×5回=70文についてしてもらうこととなる)。そこで、例えば、2文条件を5回とも完答できて、3文条件を0回か1回しかできなければ、その人のスパンの大きさは「2」と判定される。3文条件を2〜3できれば、その人のスパンの大きさは「25」と判定される。そして、3文条件を4回か5回できれば、その人のスパンの大きさは「3」と判定される。…………………………。このようなルールを定めて、「2」から「5」まで、0.5ステップで判定していきます。

 


 

 

リーディング・スパン・テストがどのようなものであるかは、すぐれた論文や書籍13) 14)などを参照していただきたい。ただし、リーディング・スパン・テストについて、もう少し考えるために必要なコメントを備考として以下に付記しておきます。

 

備考リーディング・スパン・テストを理解するために

1) 被検者が問題文を難なく読める能力(β能力)をもっていることが、この検査を実施するための必要条件である。例えば、問題文にその被検者にとって読み方のわからない漢字や知らない単語があった場合には、それをどう読めばいいのか、あるいはどういう意味なのだろうかなどと考えてしまって、ターゲット語(憶えるべき語)を憶えることがおろそかになってしまう。

 

2)上のように、β能力がかなり劣っていると、その結果としてリーディング・スパン・テストの成績が悪くなってしまう可能性がどうしても残る。そのため、均質な集団内でのみ、リーディング・スパン・テストの成績がα能力の差を反映していると考えるべきであろう。

 

3)各文は、複雑ではないが、例文のように、少し長めの文である。そのため、やはりある程度以上のβ能力を持っている人だけを対象としている。

 

4) リーディング・スパン・テストの結果をみると、(偏差値の高い)同じ大学の同じ学部の学生(学力的には、かなり均質な集団であると推定できる)の成績が、2.0から5.0とばらついている13) 14) など。それゆえ、リーディング・スパン・テストの結果は、かなり正しく、α能力の違いを反映していると推測される。

 

5) 問題文で、主語や動詞をターゲット語(憶えるべき語)に設定していない。そうすると成績が上がる。文を読む(その意味を理解しようとする)ときには、主語や動詞に注目して(重きを置いて)読むかららである。(このことは裏側から見ると、一般にリーディング・スパン・テストを受ける被検者が、その文の意味を理解しながら読んでいることを保証している)。

 

6) 上で述べたように、人は普通に文を読むときには、おのずと主語や動詞に注意を向けるので、普通あまり注意を向けられない単語を憶えようとするには、その語に意図的に注意を向けないといけないので、意図的にあるものに注意を向ける能力をワーキングメモリの働きの一部と考えているので、リーディング・スパン・テストがそのような語をターゲット語としているのは、ワーキングメモリの検査法として適切である。

 

7) できるだけ文の意味を取らないで、棒読みをして(口先だけで読んで)、それも小さな声で読んで、ターゲット語だけを大きな声で読むなどすると、誰でも5文条件でも完全正解することができる。そのため、リーディング・スパン・テストを実施する際には、検査者と被検者が1対1となって、被検者がそのような読み方をしていないことを確認しながら実施する。(裏側から見ると、これらのことは、一般にリーディング・スパン・テストを受ける被検者が、その文の意味を理解しながら読んでいることを保証することとなる)。

 

8) 日本語は、わりと文を平板に読むだけなのではっきりしませんが(それでも極端な棒読みは察知できますが)、英語の場合には、ちゃんと読んでいるのかどうか、はっきりチェックすることができる。英語では、各単語がストレス(アクセント)をもっていること、また、文の中の重要な語を強く言う(stress)という習慣や、フレーズになっている部分(例:“no gleam of triumph”、“no shade of anger”)は、ひとまとまりにして速く読むといった習慣がある。(そのため、英語ではその文をちゃんと読んでいるのかどうかチェックしやすい)。(日本語でも、文をちゃんと読んでいる場合には、正しいアクセントで読まれる)。

 

9) 2文から5文まで、それぞれの問題文の間には関連性がなく、それらの文は互いに独立している。そのため、一つの文を読むとその文そのものは忘れてしまっても問題の無いように設定している。つまり、文の数が増えても、文の意味を理解するという処理に次第に大きな負荷がかかっていくと言うことはない。

 

10) (上記のように、文の意味の理解という点では、文の数が増えても大差は無いが)、記憶という面では、2文から5文にかけて負荷が大きくなっていると推察される。5文条件の場合、すでに(無関連な)語、4語に注意をむけて憶えて(保持して)いるのに、文の理解という点ではさほど重要ではない語(ターゲット語)に注意を向けて、それを憶えて(記銘して)、その4語に新たに加えるというのは、かなりの負荷のかかる処理となる。このように、2条件文から5条件文に向けて、単に記憶の語数が増えるというのではなくて、より負荷の高い課題となっていると推測される。それに、憶えていなければ時間もそれなりに長くなる。

 

4. 主にβ能力だけを測ろうとするテスト

世の中に、主にβ能力だけを測定することを目指したテストが存在する。それは、非常によく習得されたβ能力の最大の特徴、ほとんど自動的に答えることができる。つまり、非常に高速で答えることができるという特徴を最大限に捉えようとするようなテストです。その特徴を以下に挙げますので、皆様、どうかご自分で考えてみてください。答えはこの稿の最後にあります。1

 

優れたβ能力の最大の特徴は何でしたか、想い出してみてください。それは以下の2点でしたね。そのため、以下のような性質を持った問題が必要となることでしょう。

1. 習熟による技能の質的向上→高い正答率

2. 習熟による自動化→非常にすばやく答えられること

 

 両者の中で、頭を使ってゆっくり考えることによっても、正答率を上げることが可能なので、正答率よりも、高速で答えられることに主眼を置いた試験方法(問題)にすべきです。

そのためには、以下の3つを満たした問題設定が必要です。

1) 誰にも試験時間内に答えられないほどの大量の問題が出ること。

2) 完全に答えられることよりも、高速性を重んじるために、正答率よりも、どれだけたくさんできたかのほうを重視する。(具体的には、厳しい時間制限内にできた正答数で採点する。まず、100点満点を取れる者は、一人もいない、また、試験をするほうも、それを期待してはいないので、例えば、全問の80%以上正答であれば、それで合格とする)。

3) 高速で答えられることをみるためのものなので、答えること自体が高速にできる問題形式であることが必要である。具体的には、4肢選択などの解答方式を用いることが必要である。例えば、当人に解答を記入させる方法では、答えを書くこと自体に時間がかかってしまう。さらに、難しい漢字があって、その漢字を想い出しながら書いたりしたら、この試験は成立しなくなってしまう。

 


 

 

 

 

引用文献など

1) Cheour-Luhtanen M, Alho K, Kujala T, Sainio K, Reinikainen K, Renlund M, Aaltonen O, Eerola O, Näätänen R. Mismatch negativity indicates vowel discrimination in newborns. Hearing Research, 1995, 82: 53-8.

2) Kuhl PK, Williams KA, Lacerda F, Stevens KN, Lindblom B. Linguistic experience alters phonetic perception in infants by 6 months of age. Science, 1992, 31: 535.

3) Boysson-Bardies Bd. Comment la parole vient aux enfants. 1996, Editions Odile Jacob. (加藤晴久、増茂和男訳「赤ちゃんはコトバをどのように習得するか」 藤原書店, 2008

4) http://tanken.com/terakoya.html

5) 杉島一郎、賀集寛 表記形態が単語のイメージの鮮明性に及ぼす影響 関西学院大学人文論究, 1997, 46: 63-86.

6) 天野成昭、近藤公久 NTTデータベースシリーズ『日本語の語彙特性』第7巻頻度 三省堂, 2000. (こんなたくさんの単語を知っているというと、驚かれるかもしれませんが、欧米の人々も、新聞、雑誌に数百万語当たり数回しか出てこないような単語でも知っていることが確かめられています。それは、おそらく、“潜在記憶” と呼ばれる自覚のない記憶能力が、我々人間に備わっているおかげと考えられます)

7) 心理学的に申しますと、漢字などの文字の一つ一つがゲシュタルト(全体的なまとまりの構造)となっていますが、各単語の文字列が一つのゲシュタルトとして、知覚されているということです。

8) 公文 寛 たしざんおけいこ〈1集〉4. 5. 6 (くもん式の基礎学習シリーズ)  くもん出版, 2000.

9) プレジデント(プレジデント社) 2002, 916日号.

10) 陰山英男 本当の学力をつける本 文藝春秋, 2002.

11) 陰山英男 徹底反復漢字プリント 小学館, 2002.

12) 岸本浩文、陰山英男 やっぱり「読み・書き・計算」で学力再生 兵庫県山口小学校10年の取り組み 小学館,  2001.

13) 苧阪滿里子 苧阪直行 読みとワーキングメモリ容量―日本語版りぃーディングスパンテストによる測定― 心理学研究, 1994, 65, 339-345.

14) 苧阪滿里子 脳のメモ帳 ワーキングメモリ 新曜社, 2002.

 

 

 

 

 

 

註1 医師国家試験、歯科医師国家試験など

 これらの国家試験では、誰にとっても(どんな医師にとっても)、とても与えられた時間内ではできないほどの多量の問題が出されることは、ご存じだと思いますが。どうして、そのような形式の問題が出されているのでしょうか? 本稿の内容は、それに対する答えなのですが。どうでしょうか?

 

医師が診断をする場合に、基礎的な医学的知識については、(ここで述べている)習熟している必要があります。そうなっていますと、その患者の訴え(主訴)や症状、検査結果などからおのずと難なくその病名(可能性のある複数の病名なども含む)など即座にわかるはずです。そうしてはじめて、医師は、全力で、言わば“頭(知的能力)のすべてを使って”、患者さんに向き合うことができるのです。そして、その患者さんに対して、正確な診断(薬の種類や精密検査の必要性など)が可能となるのです。

 

もう少し述べますと、種々の要素―問診や、患者さんによる病状経過など訴え、患者の体の状態や検査結果―から、いくつかの病名を引き出してくる。ここまでは、ほとんど頭を使わないで、ほとんど自動的にできる。そして、そこから本当の診断が始められる、医師が真剣に考えることができるのです。つまり、そうなっていて始めて肝心なこと、その患者に全力で向き合って、種々の要素の内容とすりあわせての病名の決定、治療方針の決定が可能となるのです。反対側から申しますと、上記の診断の前半部分について、いちいち考えて想い出さなければならないようでは、もっと言うといちいち医学書を引かないといけないようでは(非常にまれにはそういうこともあるでしょうが)、そこに頭を使ってしまって、患者さんに全力でむきあうことができません。

 

以上のように、医師には、基礎的な医学的知識については、習熟していて、その患者の訴え(主訴)や症状などから“おのずと難なくほとんど自動的に”その病名(可能性のある複数の病名なども含む)がわかる必要があるわけです。それができない人には、医者になってもらっては困るのです。

 

最後に、本稿の主題である「文章を読むこと」に戻って述べると、「β能力の最良の支援を受けて、はじめて自身の最大のα能力を持って、文章(問題)に取り組むことができる。そして、その文章から最大の収穫を得ることができる」。