T. 統一協会はキリスト教ではない

統一協会(世界平和統一家庭連合 旧名称:世界基督教統一神霊協会)という協会は、キリスト教ではない。例えば、この協会の信者の脱会のために、多くの牧師さんが関与しておられます。それは、この協会が、(キリスト教の信仰の対象である)、地球上の一番の有名人とも言えるイエスを利用し、地球上の最大のベストセラーでもある聖書を自分たちの都合のいいように利用しているからです。

 

キリスト(メシア)の復活

どうしてイエスがキリスト(救世主、メシア)なのでしょうか? そのあかしは何なのでしょうか? キリスト教にとって、絶対に譲れないものとは、何なのでしょうか

それは、イエスが(処刑された後に)、復活されたことです。復活こそが、彼がメシアであることのあかしです。これだけは、キリスト教徒にとって絶対に譲れないところです。そのため、キリスト教にとって最大のメモリアル・デイは復活祭です。統一協会には復活祭はあるのでしょうか?

同様に、もし文鮮明氏が、メシア(救世主)であるというのなら、どうしてよみがえって、そのことを証明なさらなかったのでしょうか? 不可解です。

 

教祖とメシア

教祖というのは、その宗教を始めた人間のことです。メシアというのは、教祖なんかではなくて、それこそ神そのものです。文鮮明氏は、教祖であり、かつメシアであるとのことのようです? それってどういうことなのでしょうか? キリスト教の場合、イエスがメシア(キリスト)であって、(キリスト教というものをうち立てた)ペテロと(その後継者である代々のローマ法王)が教祖だと言うことができます。それは、イエスがメシアであり、ペテロが人間であったからです。

 

自由意志

 神は人間を作られたときに、人間を人間たらしめる能力として、“自由意志” をお与えになりました。“自由意志”というのは、非常に難しい問題で、多面性を持った概念でキリスト教の教派によってかなり解釈が異なりますが、我々人間が“自由意志”を有していることは、キリスト教の根本です。

人間が自由意志を持っているというのに、それを無視して結婚相手を神(協会幹部)が決めるというのは、神のご意志にそむく行為だと思われます。

原罪を持たない子を生み出すために、婚姻の組み合わせを協会が決めていると伺いましたが、(イヌやウマじゃあるまいし)、優れた亜種を作出するために、ペアリングを決めるなどと言うのは、宗教を持ち出すべくもなく、人道に反しています。

 

真(まこと)の父母様

  文鮮明氏には子供さんがたくさんおられるそうですが、メシアの子供ともなれば、どのように素晴らしいお方なのでしょうか。言わんや、真(まこと)の父母様から生まれたお子様であれば、そのお子様はいかなる“もの”なのでしょうか?

ここでの“もの”は決して物質という意味ではありません。それが、神のような存在であるのか、天使のような存在であるのか、または、(協会がペアリングして誕生させた)原罪を持たない子のスーパーバージョンなのか不明なので、適切な用語が見当たらないので、一応“もの”と表記しておきます。

むしろ、それらのお子様たちも“普通の人間”ではないかと推測されます。例えば、真(まこと)の父母様の6男、文栄進氏は、199910月にアメリカのネバダ州リノで自殺しています。また、長男、文孝進氏の元妻、洪水欄淑氏が、文一家の途方もなく贅沢な暮らしぶりを暴露した後、孝進氏のギャンブルや性的に乱れた生活、薬物とアルコールにまみれた孝進氏からの、精神的、身体的な暴力を受けた14年間の結婚生活を述べられています(コーワンとブロムリー, 2010, p107より)。これらは、この夫妻の息子たちが“普通の人間”であったことを示していて、文鮮明氏が“普通の人間”であることの証明ではないでしょうか。

 

 

U.統一協会はカルトである

 キリスト教にしても仏教にしても、自分たちがどのような協会に属しているのかを先に明かしてから、布教なり、その宗教の話を始めます。それには3つの理由があります。

@ たとえ相手にその内容を受け入れてもらえなくても、自分たちの教義を知ってもらうことで、その人にも心の安らぎを届けることが、(部分的かもしれないし、一時的なことかもしれませんが),できるはずであると考えるからです。

A 一般の人たちに、自分たちの宗教、教義を知っていただくことは、自分たちの宗教の社会的な認知度を上げることができる。社会的に受け入れられることに役立つと考えるからです。

B 心情的には、自分の信じる宗教に誇りを持っておられて、それを明らかにしてから話をしたいと思われるのが当然の理でしょう。

 

統一協会は自分たちの正体を明かさないで接触してきます。相手がほとんど信者になってくれるという時期まで、正体を明かしません。ということは、彼らは@もAも望んでいないと言うことです。

@については、一般の人の反感を買うかもしれない、教義内容だからです。そのことは彼ら自身もよく知っているわけです。

Aについても、彼らは自分たちが社会的に許されない活動をしていることをよく知っているからです。統一協会の信者さんは、(統一協会の教義から)、どのような活動であっても(例えば、相手をだまして献金させるような行為であっても)、その相手を救済することになると信じているようですが。むしろ、正確には、その相手を救済する活動であると思いこむことで、「自分は悪いことをしているのだ」という(人間の持つ本来の道徳観に打ち勝つよう日々努力を続けているのでしょう。(彼らは、罪や罰ということをよく言うようですが)、その概念をもたらしているのは、こういう人間が本来持っている直感的な道徳観です。やはり彼らも暗黙の内にそれを持っているのですが、それらに打ち勝つためにも、彼らの教義を正しいこと、それこそ唯一の統一原理として、自身の骨の髄までしみこませようと、彼ら自身が長い間努力してきた結果そう信じているようです。

そして、この@とAのために、きっと、Bのプライドも持っておられないと言うことでしょう。哀れなことだと存じますが。

 

統一協会は、理想の家庭を目標にしているが

この協会はその名前(世界平和統一家庭連合)にもありますように、理想の家庭を築くことを目標にしているようです。信者になることによって、真(まこと)の父母様に導かれた理想の家庭が築かれるということのようです。しかし、この協会は、何十万という信者となった人の家庭を破綻に追いやってきました。この協会の信者になった者は、(ただし、両親ともに信者であった場合は違いますが)、両親からも、兄弟からも、それまでの友人からも身を隠します。自分の居所を伝えないし、一切の音信もすべて断ってしまいます。極端に言うと、両親も、兄弟も、それまでの友人人たちも、当人の顔を見ることもできず、当人の生死さえわからない状態が、ずーっと続きます(風の便りだとか、死んでいるはずはないと思うことはできるでしょうが)。その家族からかけがいのない人間を奪っていきます。(死んでしまったのであれば、それなりの対処も可能なのでしょうが、例えば、親は、「どうしているのだろうか。私の育て方が悪かったのだろうか、もう少し優しく接していれば良かったのだろうか」、など、などと、悩みぬき、悲嘆に暮れ、おそらく終生、自分を責め続けます)。このように、統一協会は幸せだった家族を完膚(かんぷ)無きまでに破壊してしまいます。

また、若くなくて入信した(上のような献身生活を送らない)信者には、その信者の家族の生活が困窮してしまうほどの高額の献金を求め続けます。また、両親や兄弟や親族をだましてでも、献金をもってくるように求めます。そうすると、当然、その親子関係、親戚関係は破綻します。それでも、献金を集めてくるように、その信者を追いやります。

こういう意味でも、統一協会は “破壊的” カルトです。

 

統一協会はほとんど反社会的集団である

暴力団は、暴力など非合法の手段を用いて、自分たちの望むことを実現させています。この協会は、教義という道具でからめとった(公序良俗に反する行動をもいとわない)信者集団を使って、自分たちの望むことを実現させています。しかし、両者でよく似ていて、脱会はほとんど“命がけ”です。後者においては、統一協会と教祖に奪われた “心と精神” を、自分自身に取り戻す “心と精神” の戦いなのですから。

 

経済(金集め)活動を組織的にしている

信者たちは、霊感商法、高額な物品の販売、本人の限度を超えた額(がく)の献金、信者の限界を超えた(奴隷と言ってもいいかもしれないほどの)労働奉仕を行っています(例えば、後で述べる「マイクロ隊」の図を参照されたい)。本人が容認しているといって、人を奴隷のように使ってもいいのでしょうか? 日本国憲法は誰もが人間的な生活をできることを保証しているのに。

 

社会に嫌われている

 一般の信者も自分たちが社会から嫌われていることをよく知っているようです。どうしてでしょうか? 自分たちが上のような悪行を行っているからです。なぜなら、統一協会は、自分たちのしていることをひた隠しに隠しています。例えば、何らかのことで、信者のそのような活動が表沙汰になったほとんど場合で、彼らは、「それはその信者が個人的に勝手にしたことである」とか言って、切り捨てて、逃げてしまいます。信者の皆様、協会の中にあって、あなたは何か、個人的に勝手なことをしていますか? そんなことが許されていまか?

 

 

V. カルト教団の “実用的” 定義

@ カルト教団とは、正体を隠して勧誘、伝道を行う団体である。

ここで一つの提案ですが、「カルトとは、みずからの正体を隠して勧誘してくる宗教団体である」と、定義しては、いかがでしょうか。そうすると、正体を明かさないで寄ってくる宗教団体には、近づいてはいけません、ということを啓蒙することで(無論、これは、ずいぶん以前からなされていることですが)、対策もできるように思います。少なくとも、そう教育することで、被害を未然に防げるように存じます。反対にその弊害も考えておかなければなりませんが、民主主義の世の中で、それほどの弊害は生じないと考えるのですが、いかがなものでしょうか。

 

A その活動内容(業務内容)を公開できない、あるいはしていない団体である。

統一協会はその業務(活動)内容をひた隠しに隠しています。それは、彼らが公序良俗に反することをしているからです。

伝えられている信者(献身者)の生活は、「彼らはホームと呼ばれるアパートの一室のような部屋で共同生活をして、不十分な栄養と、3、4時間の睡眠時間しか与えられず、協会のための活動に熱心にいそしんでいた.」 と言われています。

また、下の図のようなマイクロ隊と呼ばれる過酷なスケジュールの“おつまみなどの訪問販売キャラバン隊”では、図中に書き入れたようなことが、長期間にわたって行われます。さらに、睡眠中の様子も描かれていますが、こんなこと、いわゆるタコ部屋よりもひどいです。真夏だったらどうでしょうか。お互いに汗まみれになって、人間の限界を超えているように思われますが。こんなことをしている工事現場があったら、(労働基準監督署が問題にするような)絶対に許されない労働環境です。これは、日本国憲法(第25条:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)に反しています。それどころか、過労死の基準さえ守られていないようです。

 

 

しかし、この点を明らかにするためには、そのような教団に業務内容を開示する義務を課す必要がありますが、現在の法律では、信者に口止めをし、彼らがそれを守っている限り、(断片的な事実は出てくることはあっても)、公開されるようなことはありません。

 

どうすれば良いのか、私にでもわかる方法は2つしかないようです。一つは、「宗教法人」の法人格を外すこと。そうなれば、彼らが何らかの経済活動をすれば、納税の義務を負いますので、脱税をしていれば刑事罰の対象になります。その面から、彼らの業務内容にある程度の制限を加えることができるはずですし、税務当局の目が届くはずです。

もう一つの可能性は、宗教法人にその業務(活動)内容を監督官庁に提出する義務を負わせることです。でも、これは、信教の自由との関連で、非常に難しそうですが、それなりのルールを設ければ、緩やかな監視はできるのではないでしょうか。「質問権」というのも、これの非常に弱い弱い形態だとは思いますが、せめて、「査察権」は認められても良いのではないでしょうか。

この点について、反対から眺めてみますと、国は宗教法人というある種の特権を与えているわけですから、その団体が行う活動(業務)において、日本国憲法を(法令も)遵守しているのか、否かを監視、監督する責務があるのではないでしょうか。それを行っていないのは、国民を守るという責務を国が怠っているということではないでしょうか。

例えば、統一協会のある信者が、その家族が脱会のために彼を説得している過程で、以下のように述べたと記載しています。(マインド・コントロール研究所, 1997, p186) 

「統一協会だって、立派な宗教法人だ。信教の自由が保障されているだろう? これがだめだというなら、法人認定を取り消してみろよ。おまえ(本人の妹)だって、公務員だろ。それぐらいわかるだろうが!」 とまくしたてる。

以上のように考えますが、信仰の自由という観点から、反対意見も多くあるのだろうと存じますので、もっともっと専門的な分野の方の議論が必要と思われますが。

 

いずれにしても、カルト教団の定義としては、この二つで実用上、役立つのではないでしょうか。

 

 

このうちの@については郷路(2022)が強く指摘しています。この考え方は、「勧誘を受けるものの信仰の自由という観点(だまして信じさせるのは信教の自由の侵害である)から、郷路氏が元信者の統一協会に対する裁判の長年にわたる弁護活動の結果、下記のように裁判所にも認めさせた権利である。

 

 

 Aについては、上でも述べたように、法制度などでどう担保していくのか、まだまだこれからの問題であると、言わざるをえないですが。

 

文献

Cowan, D. E. & Bromley, D. G. カルトと新宗教 アメリカの8つの集団・運動 (村瀬義文 訳) キリスト教新聞, 2010.

郷路征記 統一協会の何が問題か 花伝社, 2022.

川崎経子 統一協会の素顔 その洗脳と実態と対策 教文社, 2008.

マインド・コントロール研究所 親は何を知るべきか  いのちのことば社, 1997

 

                                                 (2023.1.13.